今日のみ言葉【No.667】(2013年10月 8日)

これは主の目には小さい事である。
(列王紀下3:18)

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ある人が奇妙な釣り人を見つけました。

その釣り人は、魚を釣ると、小さい魚は保存し、大きい魚は海に返してやるのです。

「何ともったいないことを…」と思ったその人は、釣り人に尋ねました。

「なぜあなたは小さい魚だけを捕って、大きい魚を逃がしてやるのですか?」

釣り人はこう答えました。

「いや〜、あの魚は私の台所にあるフライパンからはみ出す大きさだから料理できないんですよ。だから逃がしました。」

人はこのようにして可能性を逃し、いつまでも自分サイズのものだけを求めているのではないでしょうか?

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列王紀下3章では神の大きな可能性を体験した王たちの話が書かれてあります。

イスラエル、ユダ、エドムの3人の王たちが遠征に行った時、水が無くて困ってしまいました。

彼らは預言者エリシャを頼みました。

エリシャは

「わたしはこの谷を水たまりで満たそう」

という神の言葉を伝えます。

風も吹かず雨も降らないのに、明くる朝、

「水がエドムの方から流れてきて、水は国に満ちた」
(列王紀下3:20)

のです。

このような奇跡に見える出来事など、

「主の目には小さい事」

だとエリシャは語ります。

「主にとって不可能なことがありましょうか。」
(創世記18:14)

という言葉は今も真実で、信頼するに足る言葉なのです。

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私たちがすべきことは、神のサイズを自分サイズに縮小しないことです。

この程度ならかなうはずだ、という人間が計算できるサイズに収めてしまわないということです。

自分から大魚を捨ててはいけないのです。

大きな魚が来ても良いように、自分の家のフライパンを大きくすることに目を向けましょう。

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1977年に打ち上げられたアメリカの宇宙衛星、ボイジャー1号と2号が太陽系を離れ、現在は恒星間空間を移動しているそうです。

搭載されている技術は、今から36年前のもの。

コンピュータは今私たちが持つスマホの7500分の1の処理速度。

メモリーは全部で69.63KBですから、携帯電話で撮る画像ファイルにも及びません。

当時の技術者たちは、木星と土星の観測を成功させることに注力するよう指示されていました。

しかし彼らはその指示にうなずきながら、実は、恒星間空間飛行が可能になるよう努力していたのです。

その努力が報われ、ボイジャーは東京オリンピックの2020年までは確実に地球にデータを送信し続けると予想されています。

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神に願う時は、自分サイズに縮小せず、大きく願わせていただきましょう。

と同時に、神のみ業をしっかりと受け止められるよう、自分の器を大きくしていきましょう。

奇跡を受ける器としての人生を生きていきたいものです。

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