今日のみ言葉【No.1628】(2017年10月18日)「 預言者のメッセージ」

神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られた
(ヘブル1:1)

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「○月×日が危ないらしい」

毎年このような大地震の予言が出ます。

本当に毎年そのような噂が流れます。そして毎年人々は恐れ、毎年忘れています。

毎年言っていれば、きっとそのうち当たるでしょう!

いい加減な「予言」と正確な情勢分析に支えられた「預言」とは全く違います。

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「予言者」と「預言者」は違います。

前者は未来のことを語りますが、後者はその時代の人々の問題に向けて語ります。

予言者が語ったことは外れた瞬間から忘れ去られますが、預言者の語ったことは永遠に残ります。

予言者は自分の言ったことに責任を持ちませんから、外れた後でもあっけらかんと生きています。

一方、神の預言者は自分の語った言葉に責任を持ち、多くの者はそれで命を奪われます。

預言とは神の言葉を預かることです。

預言者たちは当時のイスラエルが神の御心に沿って生きているかいないかを鋭く分析した、冷静客観的で優秀な、そして勇気あるメッセンジャーだったのです。

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ソロモン王が強いた重税と強制労働の政策の結果、イスラエルは北王国と南王国の2つに分裂しました。

それから先は方向舵を失った船か飛行機のごとく彼らは迷走し、ついには滅びます。

その過程で人々を悔い改めさせようと預言者たちが現れました。

彼らは当時の社会の矛盾を追求したので、為政者である王や民にとっては「ダメ出し」に近い言葉に感じられました。

しかし、預言者の言葉の中には未来に関するものも含まれていました。

迫り来る滅亡の危機を語っただけではなく、その先にある希望という明るい未来の預言もあったのです。

そのようなことを理解して旧約聖書を読むと、主題から大きく逸れるような読み方をすることがありません。

自分勝手な読み方でなく、正しく神のメッセージを捉えていく読み方となっていくのです。

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私の迷走談をひとつ。

洗礼を受けてすぐ、聖書通読にチャレンジしました。

新約聖書から始めて全巻通読完了。次は旧約聖書です。

創世記、出エジプト記は楽しく読めました。レビ記は勢いで読み、民数記は努力と忍耐で通過。

ところが、エレミヤ書ほど嫌なところはありませんでした。

「ちょっと、これ、マイナスの否定的メッセージ多すぎない?」

「なんでプラスの言葉を出さないんだろう?おかしいんじゃない?」

自分のほうがおかしいのだということに気づかないその当時でした。

そこで私は、「滅亡」とか「わざわい」と書いてあるマイナスと思える箇所には青線を引き、「愛している」等のプラスと見える箇所には赤線を引いて改めて読んでみることにしました。

するとどうでしょう、エレミヤ書は

「青いゼリーの中に紅生姜がちょこっと入っている」

ような感じになりました。

それから何年間は、私にとってエレミヤ書は封印の書となりました。

当時のイスラエルの民と同じく、エレミヤを通して語られる神のメッセージに耳をふさぐ結果となったのです。

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聖書は神からの愛の言葉です。

時には耳に痛いことも聞きますが、愛するがゆえの言葉なのです。

希望も忠言も両方聞き、神の御言葉を味わいながら生きる今日として参りましょう。

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