今日のみ言葉【No.656】(2013年 9月25日)
なぜ、他人を装うのですか。
(列王紀上14:6)
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高木裕樹先生は牧師になる前、カリスマ美容師として活躍し、芸能人の方もお客様となっていたそうです。
ある時仙台市内を歩いていたら、
「ヤァ!高木さん!」
と見知らぬ風変わりな背の高い男性に声をかけられました。
その人はサングラスをちょっとだけ外して目を見せてくれました。
当時人気絶頂の歌手の郷ひろみさんでした。
全く姿を変えないと表を歩けない芸能人は大変だなあ、と高木先生は思ったそうです。
変装するのには必ず理由があります。
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北イスラエルの王として政治的成功を収めたヤラベアムの子が病気になりました。
ヤラベアムは自分が王となるという神の御告げを伝えた預言者アビヤのもとに妻を送ります。
ただし、
「立って姿を変え、ヤラベアムの妻であることの知られないようにして」
(列王紀上14:2)
とあります。
なぜ正々堂々と本物の妻ですと表さずに、偽装していったのでしょう?
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聖書にその理由は書いてありませんから、あくまで想像の域を越えませんが、やはりヤラベアムには罪責感という後ろめたさがあったのではないでしょうか。
彼は北イスラエルの王となるよう、神から選ばれました。
ところが彼は民に偶像礼拝をさせたり、祭司制を曲げたりして、神の御心と正反対のことをしていました。
それは綺麗な言葉で言えば、北イスラエルの民を暴君レハベアムから守るための手段であり、彼の政治力と知恵によって国の運営はうまくいったのです。
しかし、正当な手段ではないことをヤラベアム自身は覚えていたのでしょう。
自分の力ではどうしようもない子どもの病を何とか癒す手段はないものか…、と、預言者アビヤに助けを求めに行こうと考えます。
彼は自分自身では行けません。罪を指摘されることは確実だからです。
そこで妻を送ります。
妻に変装させたのは、ヤラベアムの妻だと分かれば、やはり自分の行いが神の御心に反しているからだと責められる…、と考えたからなのではないでしょうか?
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人生の勘所はここにあります。
偽装の人生を生きるのか、正直に自分自身を表して生きるのか、このどちらかです。
自分の欠点や過ち、至らなさを表に出すことは辛いことでもありますし、いったん表明してしまったら、その弱みにつけ込む人が出てこないとも限りません。
ですから、人は本当の自分を滅多なことでは出せないでいるのです。
あなたもそうではありませんか?
しかし、私たちの罪の身代わりとして十字架にかかったイエス・キリストを信じる時、罪は全てゆるされ、帳消しとなり、神が私たちを責めることは永遠になくなりました。
偽装も変装も言い訳もする必要はありません。
そのままの、ありのままの姿で、何も罰を受けることもなく責められることもありません。
それら全てはキリストが請け負って下さり、2000年前に全て片がついているからです。
このことを「本当だ」と信じ、ありのままの自分を一つ一つ認めながら生きるのがクリスチャンの人生です。
そこには常に暖かい神のゆるしの愛が伴います。
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ありのままで生きていられる恵みを味わいながら、今日一日も歩んで参りましょう。
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