今日のみ言葉【No.655】(2013年 9月21日)

だれでも好む者は、それを立てて高き所の祭司とした。
(列王紀上13:33)

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かつてロシアが共産主義国家のソビエト連邦となり、キリスト教(ロシア正教)は弾圧を受けました。

70年後、ソ連は崩壊し、再び国はロシアとなりました。

キリスト教は死に絶えたかと全世界の注目が集まる中、人々のキリスト教信仰は途絶えていなかったのです。

特に、ソ連のトップであるゴルバチョフ書記長が、

「私は洗礼を受けたクリスチャンです」

とイギリスのサッチャー首相に打ち明け、そこからアメリカのレーガン大統領との歴史的会見が成立し、冷戦終了を迎えたことは有名です。

人間の宗教心というものは、理論理屈で押さえられるものではないのです。

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神に対する罪を犯したヤラベアムですが、その政治的手腕は見事としか言えないものです。

人の本音を見抜く能力があったからだと思われます。

彼は人間の根源的欲求である宗教心を知っていました。

民はやがてエルサレムに巡礼に行くであろう。そうなれば自分の立場も命も危うくなる…。

そこで彼は北と南の2個所に礼拝所を設け、エルサレムまで行かなくてもよいようにしました。

遠路はるばる、盗賊に会うかもしれない危険を冒してエルサレムまで行く必要が無く、日帰りで神を礼拝できる場所があれば、人はそちらに傾きます。

このように、民の都合に合うように、神の定めた制度を曲げ、王としての自分の支配が続くようにしました。

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「だれでも好む者は、それを立てて高き所の祭司とした。」

というのは、権力者の宗教への介入です。

神が選んだ祭司は神の命じることを行います。

しかし、王の好みで選ばれた祭司は事務的に業務を行うのみです。

王に逆らってでも命をかけて神のために働く…、はずはありません。

北イスラエルでは、表面上はうまく回っているように見えても、形式だけの宗教行事がそれから延々と続くことになります。

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聖書を通し、神に直結すること。

ここに私たちの命の道があります。

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今日も神の導きを求め、軌道修正しながら歩んで参りましょう。

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