今日のみ言葉【No.686】(2013年10月30日)
マナセは十二歳で王となり、五十五年の間、エルサレムで世を治めた。
(列王紀下21:1)
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現在、日本のプロ野球もアメリカの大リーグも、最終勝者を決めるシリーズが続
いていて予断を許しません。
ハラハラドキドキの展開です。
ところが、安心して見ていられる方法が1つあります。
結果を先に知り、ひいきのチームが勝ったことを確認してから、録画してある
ゲームを観戦することです。
これだと、どんなにピンチの時があっても、審判の誤審があっても、安心して見
ていられます。
勝ったことに変わりはないからです。
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列王紀下21章では、マナセが南ユダ王国の王として最長の55年間の治世を行った
ことが記されています。
さぞ良い政治をしたのかと思いますが、その逆で、マナセほどの悪王はいないと
聖書はその悪行三昧を書き残しています。
なぜ悪い王なら神様は早々と罰を与えて退けなかったのでしょうか?
その答はありません。
ただ、
「マナセは十二歳で王となり、五十五年の間、エルサレムで世を治めた。」
という客観的事実だけが記されているのです。
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悪が栄え善が虐げられることは現実にも聖書にもあります。
「神に仕える事はつまらない。われわれがその命令を守り、かつ万軍の主の前に、
悲しんで歩いたからといって、なんの益があるか。今われわれは高ぶる者を、祝
福された者と思う。悪を行う者は栄えるばかりでなく、神を試みても罰せられな
い」
(マラキ3:14-15)
伝道の書の記者は、だから人生はむなしいのだ、と次のように語っています。
「わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。そこには義人がそ
の義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがあ
る。」
(伝道の書7:15)
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この人生の矛盾を解決する考え方が2つあります。
一つは、神の時がある、という考え方です。
やがて悪が滅びる、という「やがて」がキーワードになります。
人間には計り知れない神の御心があり、神の最善の時にそれが果たされる。
今は解決の途上なのだ、という考え方です。
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もう一つは、罪人が悔い改めるのを待つ神の愛のゆえだ、という考え方です。
悪王とて人間。
神は人を愛され、悔い改めて神の方に向きを変えることを望んでおられます。
そのチャンスを忍耐強く与え続けているので長期間かかっているという考え方で
す。
このように言われると、私たちは急に手も足も出なくなります。
自分が罪人であることを知っているので、
「その愛の神があなたの悔い改めを待っています」
というメッセージがこちら側に食い込んでくるからです。
「お互い様か…」という落としどころで納得する人もいらっしゃいます。
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この2つの考え方は、真理の一面を語っていますから誤りではありません。
しかし、最終的解決はキリストの十字架と復活にあります。
「もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのであ
る。」
(マタイ28:6)
イエス・キリストが十字架にかかられたのは、この人生の矛盾を一身に背負い、
解決するためです。
十字架上で全人類の罪の身代わりとして犠牲になり、罪の支払いを全てご自分が
払って下さいました。
従って、イエスを救い主と信じる者の罪は赦され、神の前で全ての負債は帳消し
となりました。
復活とは、罪と死に対する勝利の証明です。
悪に対する最終的勝利はまだ先のことになりますが、現在の私たちは勝利の喜び
を先取りして生きることが出来るのです。
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復活の喜びを味わいつつ、今日も確かな一歩を踏み出していきましょう。
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