今日のみ言葉【No.685】(2013年10月29日)
わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。
(列王紀下20:5)
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ヒゼキヤ王は病になり、預言者イザヤから、余命幾ばくもないから
「家の人に遺言をなさい」
という神の言葉を伝えられました。
ここで、
「はい、さようですか。神の御心ですからお受けいたします。」
と、そのまま死を受け入れる選択もあります。
しかしヒゼキヤは
「顔を壁に向けて主に祈って言った」
とあります。
「ああ主よ、わたしが真実と真心をもってあなたの前に歩み、あなたの目にかなうことをおこなったのをどうぞ思い起してください」
(列王紀下20:3)
と泣いて祈りました。
すると神は、
「わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。」
と宣言され、帰る途中のイザヤを引き返させ、ヒゼキヤに告げさせるのです。
ヒゼキヤ王は癒されただけでなく、予定の年齢より15年長く生きることも宣言されました。
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神は人と共に働かれます。
神はご自分の計画の中に、人間を引き入れ、祝福を共に味わわせたいと願うお方なのです。
ですから、私たちが、
「どうせ御心でしょ。人がどう思おうと、がんばって努力したとしても、御心以外成らないんでしょ。」
と思うことがある時、私たちから祈りを呼び醒まそうとなさいます。
ヒゼキヤの場合は、それが外国からの侵略であり、不治の病であったのです。
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苦しい時は、
「神様、この苦しみを取り去って下さい!」
と祈りましょう。
それが人間の自然な気持ちです。
ただし、今すぐ楽になれるかどうかは分かりません。
むしろ、祈ってすぐ苦しみが取り除かれるのは、まれです。
なぜなら、苦しみが取り除かれた瞬間から私たちは神を忘れてしまい、また元の日常生活を続けるからです。
苦しみと祈りは神からのギフトセットです。
これが私たちを神と共に歩ませます。
そして祝福へと導びかれていくのです。
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私が初めてギックリ腰を体験したのは、玄関で靴を履こうとした時でした。
重労働をしたのでも何でもなく、なる時はなるものです。
突然襲った激痛に、最初は何が何だかさっぱり分からず、それから3日間、寝るだけの日々を過ごしました。
もちろん、
「主よ、あのヒゼキヤ王のように癒して下さい!」
と祈りました。
その祈りはすぐにはかなえられませんでしたが、動けないでいる間に、人の愛を知りました。
こんなにも多くの人がギックリ腰を体験しているのか…。
そして、その痛みを味わったゆえに、同じ痛みで苦しんでいる人への愛といたわりがその方々の内に養われているのを感じさせていただきました。
激痛と、そこで得たケアによって、私も愛の人に変えられました。
神様はこの祝福を用意しておられたのです。
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神は私たちを祝福の中に入れようとなさっています。
苦難という包装紙に包まれた祝福が今日もやってくるかも知れません。
祈りを呼び醒まされつつ、今日の一日を神と共に歩んで参りましょう。
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