今日のみ言葉【No.1150】(2015年10月 8日)

こうしてエホヤキンは獄屋の服を脱いだ。そして生きている間は毎日王の食卓で食事し、
(エレミヤ52:33)

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エレミヤ書は第52章が最終章です。

ここには二人の王の最後が対照的に書かれてあります。

当時の国民の人気は得ましたが、エレミヤの言葉に従わなかったゼデキヤ王は悲惨な最後を遂げます。

もう一人のエホヤキン王は、獄から出され、バビロンで厚遇されます。

「こうしてエホヤキンは獄屋の服を脱いだ。そして生きている間は毎日王の食卓で食事し、彼の給与としては、その死ぬ日まで一生の間、たえず日々の必要にしたがって、バビロンの王から給与を賜わった。」
(エレミヤ52:33-34)

在位わずか3ヶ月で無抵抗のままバビロンに投降したエホヤキンだったので、結果的にエレミヤの言葉に従ったということになります。

「ユダの王エホヤキンはその母、その家来、そのつかさたち、および侍従たちと共に出て、バビロンの王に降服したので、バビロンの王は彼を捕虜とした。」
(列王紀下24:12)

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バビロンに降伏することは、彼の本意ではなかったでしょう。

王宮での生活から、獄屋での捕虜生活が始まるのですから…。

本音では従いたくない。

しかし、そうせざるを得ない状況に追い込まれ、やむなく従った、あるいは従わせられた、というところが実際だったと思われます。

つまり、

「心ならずも従った」

「イヤイヤ言うことを聞いた」

ということです。

これを神は

「預言者エレミヤの言葉に従い、神の御心の通りに行った」

と見て下さったのです。

バビロンの王がネブカデレザルから、その子エビルメロダクとなり、恩赦によってエホヤキンは獄から出され、その後は王と共なる食卓に預かり、給与も与えられます。

神は、たとえそれが形式だけの従順であっても、報いたいとなさる愛の神なのです。

さらに恵みは続きます。

バビロン捕囚から解放され、故郷エルサレムに帰還する時の総督が、このエホヤキンの孫のゼルバベルであったのです。

神は、かけらのような僅かな従順をも拾い上げ、恵みの中で大きく育てて下さる御方なのです。

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主の恵みの中で、従う道を選び取っていく一日として参りましょう。

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