今日のみ言葉【No.687】(2013年10月31日)
その時大祭司ヒルキヤは書記官シャパンに言った、「わたしは主の宮で律法の書を見つけました」。
(列王紀下22:8)
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ヨシヤ王の時代になりました。
彼は、
「ヨシヤは主の目にかなう事を行い、先祖ダビデの道に歩んで右にも左にも曲らなかった。」
(列王紀下22:2)
と評されるように、善い王でした。
彼の治世時代にとんでもないことが起こります。
律法の書の発見です。
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律法の書とはモーセの律法のことで、申命記だろうと言われています。
悪王の時代が長く続き、イスラエル国内には他宗教が幅をきかせていたので、聖書が置き去りにされていたのです。
書記官シャパンがそれを王の前に読んだ時、
「王はその律法の書の言葉を聞くと、その衣を裂いた。」
(列王紀下22:11)
とありますから、相当の衝撃を受けたに違いありません。
つまり、ヨシヤ王はそれまで聖書の内容を知らなかったのです。
「イスラエルの王がモーセの律法を知らないなんて、まさかそんなことが…」
と思いますが、悪王によって神の言葉が断たれた時代が確かにあったことを表しています。
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悪がはびこり、矛盾が横行する現状の中で、人はどのように生きたらよいのか。
その答が今日の聖句の中にあります。
「わたしは主の宮で律法の書を見つけました」
と告げたのが、大祭司ヒルキヤであったということです。
前の王マナセの悪政と不利な条件の中、その時代の祭司や預言者たちが律法の書をまとめ、いつか正しい世になった時のために神殿の文庫に保管しておいたのです。
彼らは、やがて神が悪を裁かれる時が来ることを信じ、その時のために、自分たちが出来ることを行っていました。
これが解答です。
不遇の時代や不条理な取り扱いを受ける時、徹底的にそれに抗戦するのも一つの生き方です。
しかし、後の世の勝利を信じ、今自分に出来ることを粛々と行うことも正解の一つなのです。
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現実をいたずらに嘆いてはいけません。
主はこう仰せられます。
「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。」
(黙示録3:15)
熱く燃えて対抗するか、冷静に自分のなすべき事を行うか、あなたはどちらをお選びになるでしょうか?
どちらでもなければ、
「熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。」
(黙示録3:16)
という厳しい言葉が次に控えています。
人生にはどうしても決断しなければならない時がやって来ます。
しかし、決断し飛び込んでいく先に、神のご計画が現されるのです。
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御言葉に立ち、今日の人生の方向をはっきりと定めて参りましょう。
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