今日のみ言葉【No.675】(2013年10月17日)
この時にあたって、主はイスラエルの領地を切り取ることを始められた。
(列王紀下10:32)
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エヒウのアハブ家粛正は徹底を極めました。
そしてアハブが行っていたバアル礼拝をする者も滅ぼし尽くしました。
主はエヒウにこう褒めます。
「あなたはわたしの目にかなう事を行うにあたって、よくそれを行い、またわたしの心にあるすべての事をアハブの家にした」
その報償として、
「あなたの子孫は四代までイスラエルの位に座するであろう」
(列王紀下10:30)
と約束なさいました。
ところで、これはちょっと中途半端な報いなのではないでしょうか。
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それは、エヒウの思いと神の思いが一致していなかったことが原因です。
エヒウは前王アハブにまつわる一切のものを断ち切ることに熱心でしたが、
「しかしエヒウはイスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪、すなわちベテルとダンにある金の子牛に仕えることをやめなかった。」
(列王紀下10:29)
とあります。
ダビデのように主の前に全く忠実であった、とは言えません。
エヒウにはエヒウなりの考えがあり、神の思いと一致する部分では大いに働きましたが、神の思いと異なる部分では自分の思いをそのまま通していたのです。
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今日の聖句は、さりげなくそのことを表しています。
「この時にあたって、主はイスラエルの領地を切り取ることを始められた。」
(列王紀下10:32)
エヒウという国の代表である王の霊的状態が、国の領地を決めたと聖書は語ります。
神のために働き、行動を起こすことも必要です。エヒウの例のように、働いた量を神は評価して下さるからです。
しかし、どれだけやったかという行為以上に神が注目されるのは、神と思いが一致しているか、だということを覚えましょう。
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自分の領域が切り取られ、削り取られるような思いをしている方は、神との関係の中で曖昧にしているところがないかどうかチェックしてみましょう。
しかし、今すぐそれを正しい方向に戻し、完璧に行為を改める…、ことが求められているのではありません。
今までできずに長らくほったらかしにしていたことは、何かのきっかけで強制的には直りますが、それは短期間で終わることでしょう。
無理なことは長続きしないからです。
神が求められるのは、人間と神との正しい関係です。
「主よ、できない私であることを認めます。この私をお許し下さい。そして、あなたの御心を行える者となるよう導いて下さい。」
と、神の前にへりくだり、キリストの十字架の許しを信じて導きを求めていくことを神はお喜びになるのです。
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できるできない、やるやらない、は後回しにしましょう。
まず神の思いと自分を一致させる。
ここに集中して今日一日を送って参りましょう。
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