今日のみ言葉【No.674】(2013年10月16日)

どうして平安でありえましょうか
(列王紀下9:22)

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2歳の子供がおもらしをしても、誰もそれをとがめません。

当たり前のこととして許しています。

生まれてまだ月日がたたず、成熟に達していない段階で、

「あるべき姿」

を求めてはいけません。

むしろ、不十分で周りの人に面倒をかけるそのままの姿を受け入れ、いつか必ず自分で用が足せるようになるよ、と励ましてあげなければいけません。

神が旧約で人間をお取り扱いなさる場合もそれと同じです。

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列王紀下9章では、エリシャの預言によって油注がれ、イスラエルの王として選ばれたエヒウが悪王ヨラムに攻め上ります。

ヨラムはエヒウに会う前、3回、

「平安ですか」

と尋ねます。

争い事ではなく穏やかなことで来たのですよね、という言葉の背景には、もはや尋常ならざる事態を察知しています。

しかしエヒウは、

「あなたの母イゼベルの姦淫と魔術とが、こんなに多いのに、どうして平安でありえましょうか」
(列王紀下9:22)

と答え、イスラエルを真の神から離反させたヨラムとイゼベルを殺してしまうのです。

この後も、エヒウはすさまじい勢いで殺戮を繰り返し、武力で旧勢力を滅ぼし、イスラエルを真の神に立ち返らせようとします。

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旧約聖書を読む時の正しい読み方は、新約聖書の光を当てて読むことです。

旧約聖書では、まさかそんなことが…、と思うような出来事がまかり通っています。

まだまだ未熟で理解が不十分な時代に、神はそれを許したのです。

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私たちも、良かれと思ってすることが、神の前では到底不十分であることが幾度となくあるのです。

それはちょうど、幼子が土をこねて泥団子を作り、

「おいしいから召し上げれ」

とすすめてくれるようなものです。

大人であるあなたはどう対処するでしょうか?

…、…、…。

その通りです。

それと同じように神はあなたをお取り扱いなさるのです。

私たちは許されて生かされていることを忘れてはなりません。

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不十分な私を、ありのままで受け入れ、許し、あるべき姿になれるよと励ます神と共に今日も生きて参りましょう。

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