今日のみ言葉【No.2943】(2022年11月 8日)「弟子も十字架を負う(2)」

それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(ルカ9:23)

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あなたが毎日歯を磨くのはなぜでしょう?

(1)虫歯にならないため?

(2)よく噛んで食べられる生活を満喫するため?

上記2つのうち、(1)は地獄を見て「ああなったら大変だ」と思って生きる生き方で、(2)は天国を見て「ああなりたい」と思って生きる生き方です。

表面上の歯磨きという行動に変わりはありませんが、内心の動機が全く違います。

弟子が十字架を負う時にも同じことが言えます。

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前回のメールで、

「自分の十字架を負うとは、死に至るまでキリストに従うこと」

だと述べました。

その動機が、「そうしなければ大変なことになる」と、地獄を見てのものであるなら、本物ではありません。

弟子としての体裁を繕うものにしか過ぎないので、その献身生活には早晩限界が見え、振り出しに戻されます。

私がそのうちの一人です。

洗礼を受けてクリスチャンになった後、

「自分を捨て、日々自分の十字架を負うて」

の聖書箇所に出会うたびに、聖書中の最も嫌な場所だなあと思っていました。

その後、神様の導きを感じて、献身しました。

「神様、もういいでしょう。これで十分ですよね」

と思っても、なお迫ってくるのが

「自分を捨て、日々自分の十字架を負うて」

です。

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24節の御言葉がさらに追い打ちをかけます。

「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう」
(ルカ9:24)

わたしはそれまで、自分を捨てるということをこのように頭で解釈していました。

「自分が得をしないで誰かに与えると、『情けは人のためならず』という諺のように、巡り巡って自分の方に回ってくる。損をするという生き方をすると、後になって得をするということだから、まあ、先に自分を捨てることにするか…」

ところが、 イエス様は25節でこう語っています。

「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか」
(ルカ9:25)

自分の命を救おうとこだわっていると、結局のところそれを失うというのです。

さらに、とどめで、

「その者を恥じるであろう」
(ルカ9:26)

と来たので、神様から脅されているように感じてしまいました。

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こうやって十字架を負おうとするのは、決して喜びからではありません。

十字架を負うのは恵みによってするはずです。

自分を捨て、失う先に、傷ついて痛みを感じる自分がいることを承知の上で、恵みによってさせていただくのが健全な十字架の負い方ではないでしょうか。

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あなたはなぜ毎日歯を磨くのでしょう?

それと同じように、なぜ十字架を負うのでしょうか?

心の内を聖霊に探っていただく今日として参りましょう。

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