今日のみ言葉【No.663】(2013年10月 3日)

アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。
(列王紀上21:29)

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列王紀上21章の前半に書かれている話は、ひどい話です。

アハブは宮殿の隣の畑を得るために、その持ち主ナボテと交渉しましたが、律法に忠実なナボテは断ります。

「地は永代には売ってはならない。地はわたしのものだからである」
(レビ記25:23)

断られたアハブは、欲しい物が得られないのですねてしまった子供のように振る舞います。

「アハブは床に伏し、顔をそむけて食事をしなかった。」
(列王紀上21:4)

ここで妻イゼベルが登場します。

彼女は外国の女で、異教の神バアルを信じる者です。イスラエル人とは考え方や価値観が全く違います。

彼女は悪辣な策を巡らし、畑の持ち主ナボテを合法的に殺してしまいました。

そして夫アハブにこう告げます。

「立って、あのエズレルびとナボテが、あなたに金で譲ることを拒んだぶどう畑を取りなさい。ナボテは生きていません。死んだのです」
(列王紀上21:15)

夫を喜ばすために何でもするという自己中心な愛情が、隣り人を殺すという暴挙となってまかり通ってしまいました。

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21章の後半で預言者エリヤが現れます。

そこでは、エリヤとアハブ、そしてエリヤと神とのやりとりが記されています。

ここで明らかにされている神は、

「決して悪を見過ごされない神」

「悔い改めを喜ぶ神」

です。

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アハブとイゼベルの当人だけでなく、その子孫も後に悲惨な死を遂げ、滅びに至ることがエリヤを通して預言されました。

これは罪に対する神の当然の処置です。

と同時に、神は常に、どんな人に対しても(それはアハブのような悪王であっても)、悔い改めのチャンスを与え、いつ方向転換するのかと目をこらし、どんな小さなサインでも見逃さないようにしておられるのです。

アハブは自分に対する神の裁きの預言を聞いた時、

「衣を裂き、荒布を身にまとい、食を断ち、荒布に伏し、打ちしおれて歩いた。」
(列王紀上21:27)

とあります。

神はこれを

「へりくだり」

と見て下さいました。

そして、

「彼がわたしの前にへりくだっているゆえ、わたしは彼の世には災を下さない。その子の世に災をその家に下すであろう」
(列王紀上21:29)

と、災いを下すのを遅らせ、彼が更に悔い改めるのをお待ちになったのです。

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私たちの罪を決して見過ごしにならない神がおられると知ることは恐ろしいことです。

しかしその神は、私たちの方向転換を待っておられ、喜んで養い育てようとされるお方です。

そのために、ひとり子のイエス様を十字架につけて犠牲にしても惜しくないと思って私たちを見つめておられるお方なのです。

裁きの目と共に、愛の目でもって見つめておられる神様です。

今日、この神に立ち返る瞬間、あなたは救いを体験なさいます。

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「きょう、み声を聞いたなら、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」
(ヘブル3:15)

今、ひざまづいて、神に祈るひとときを持ちましょう。

神は暖かい眼差しであなたを見つめておられます。

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