今日のみ言葉【No.664】(2013年10月 4日)

ひとりの人が何心なく弓をひいて、イスラエルの王の胸当と草摺の間を射た
(列王紀上22:34)

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北イスラエルのアハブ王と南ユダのヨシャパテ王は、共同で敵国スリヤと対戦することになりました。

アハブが失われた領土を取り戻そうとして、ヨシャパテを誘ったのです。

アハブは悪王なので悪だくみが得意です。

彼はヨシャパテにこう言います。

「わたしは姿を変えて、戦いに行きます。あなたは王の服を着けなさい」
(列王紀上22:30)

敵は王の服をまとったヨシャパテに集中するだろうと考えた、アハブの自分を守るための悪知恵でした。

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ところが、

「ひとりの人が何心なく弓をひいて、」

とあります。

アハブ王に当てようと狙ったわけでも何でもなく、という意味です。

それが、

「イスラエルの王の胸当と草摺の間」

を射抜きました。

偶然としか見えないような矢がアハブに当たり、出血多量で彼は死んでしまいます。

ミカヤの預言の通りです。

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どんなに人が知恵をめぐらし、権力をふるっても、人は神に勝つことは出来ません。

神の言葉には、

「その通りになる」

という重さがあります。

その神の言葉の軽重を測れるかどうか、そこに人間の「質」というものが現れてくるのではないでしょうか。

神の言葉の重さが分からず、神を軽んじる者は、当然のこととしてその報いを受けます。

神の言葉の重さの前にへりくだる者には、神は祝福を用意して待っておられます。

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ご両親がクリスチャンのご家庭に育った息子は、小さい頃から神の存在を教えられ、聖書の言葉を聞かせられて育ちました。

しかし、親から強制された神はうっとうしいのです。

彼は親に反発しましたが、教会にはつかず離れず。自分が利用できる時は利用し、負担になるような時は遠ざかるという立ち位置を保っていました。

やがて神の時が来ました。

仕事の最中、ふとした油断か居眠りをしてしまったのか、彼は崖から転落する事故を起こしてしまいました。

はたと気づいた時にはほとんど無傷で大丈夫な自分がいました。

しかし周りを見渡した時、どう考えても

「死んでもおかしくない場所」

に止まっていたのです。

彼はその瞬間、

「年貢の納め時だ」

と思ったそうです。

神の言葉の重さを悟り、彼は潔く神に降参したのです。

親に降参したのではなく、神の言葉に降参できたことがポイントです。

その後、彼がスッキリと納得して洗礼を受けたことは言うまでもありません。

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偶然と思えるような出来事が起きた時は、神様があなたにウィンクしている時です。

「私はここにいる」

という神からのサインです。

御言葉の重さを悟れる者として、今日も目を覚まして生きて参りましょう。

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