今日のみ言葉【No.3268】(2024年 1月23日)「「貪欲への警告(3)」

それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。
(ルカ12:15)

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「人のいのちは財産にあるのではない」(ルカ12:15 新改訳)

とは本当でしょうか?

私は親の預金通帳を管理していますが、水道代、電気代、介護サービス代等、どんどん引き落とされて減っていく中で、年金が入金され、2ヶ月前の残高に戻ると、

「ああ、これで生きていける!」

と実感します。

やはり、お金があってこその人生なのではないでしょうか?

あなたはそう思いませんか?

イエス様はこのことについて何と言われているのでしょう?

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人間が物を集め、お金を集めて自分を保持しようとするのは当然です。

しかし、イエス様は

「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい」
(ルカ12:15)

と、度を越した集め方の危険性を説き、

「たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」
(ルカ12:15)

と、支えにならないもので自分を支えようとする愚を指摘されました。

財産で自分を支えようとすると、財産を自分の手で握っておかなければ不安でしょうがなくなります。

すると、人は握っているものに振り回されますから、自分を不動のものとしてくれるはずの財産が、逆に自分を振り回すものとなるのです。

これは遺産分けの相談に来た男に向かってではなく、

「それから人々にむかって言われた」
(ルカ12:15)

とありますから、その場にいた一般民衆に向かってです。

つまり、今聖書を読む私たちに対して言われているのと同じ事です。

今日の御言葉は、自分に向けて言われているのだと解釈して差し支えありません。

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なぜ人が物集め・金集めをするのかというと、それは自分の存在を確かにしたいからです。

自分の命を固めるために、100万円よりも200万円、200万より300万、500万、1千万、1億…、と積もうとするわけです。

これが貪欲ということで、神を信頼していないということです。

人は「貪欲は罪」とはあまり意識していません。

しかし、聖書はモーセの十戒の10番目の戒めとしてはっきりと指摘しています。

「あなたは隣人の家をむさぼってはならない」(出エジプト記20:17)

もちろん、「あの人のようになりたい」という他者への憧れは自分を成長させるエネルギーとなります。

しかし、「もっと、もっと」という貪欲は命の質を破壊し、自分は何のために生きているのかわからない状況に導くのです。

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では、クリスチャンが富を得ることや、将来のために貯蓄して、様々なことにお金を使うことは罪となるのでしょうか?

貪欲と正当に働いて得る収入との違いは何でしょうか?

この答えはあなたご自身が出すものです。

自分なりの解答を出す過程で、神との交わりが生まれ、神と共に生きるとはどういうことかを体験するのです。

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得るものを得、手放すものを手放し、神と共なる人生を生きて参りましょう。

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