今日のみ言葉【No.1900】(2018年12月11日)「 罪を犯したと知った時」

2019年1月4日

そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、
(マルコ6:19)

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人間関係作りの古典的名著『人を動かす』の最初の1章は

「盗人にも五分の理をみとめる」

というタイトルです。

なぜなら悪人であっても常に自分は正しいと思っているからだと著者のデール・カーネギーは述べています。

「『おれは働き盛りの大半を、世のため人のために尽くしてきた。ところが、どうだ−−–おれの得たものは、つめたい世間の非難と、お尋ね者の烙印だけだ』となげいたのは、かつて全米をふるえがらせた暗黒街の王者アル・カポネである。カポネほどの極悪人でも、自分では、悪人だと思っていなかった。それどころか、自分は慈善家だと大まじめで考えていた—-世間は、彼の善行を誤解しているのだというのである。」
(『人を動かす』、デール・カーネギー著、創元社、第1版P6)

この世の人間関係のテクニックとしてはこれで良いのでしょう。

さて、聖書を通して見る神の御心はどうなのでしょう。

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神の預言者である義人バプテスマのヨハネは獄中で首を切られました。

これはヘロデ王の妻ヘロデヤの恨みを買ったからです。

ポール・ドラローシュによるヘロデヤ(from Wikipedia)

彼女はヘロデの兄弟ピリポの妻でしたが、夫の異母兄弟のヘロデと恋仲になりました。

現代でいう不倫 → 離婚 → 再婚という形です。

婚姻の秩序の混乱は社会の秩序の混乱につながります。

しかも、人民のリーダーであるはずの王がそういう状態なら、社会に混乱を及ぼし、人々の労苦が増すことは火を見るより明らかです。

悔い改めを説くバプテスマのヨハネがこれに目を止めないはずがありません。

「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」
(マルコ6:18)

権力者ヘロデ王はバプテスマのヨハネをすぐ処刑する力を持っていました。

しかし彼はそうしませんでした。なぜなら

「それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたから」
(マルコ6:20)

だと聖書はその理由を記しています。

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恨みを持ったヘロデヤは機会をうかがっていました。

ちょうど娘サロメの踊りの褒美に何でも欲しいものを与えるというヘロデ王の言葉に乗じ、娘に

「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」
(マルコ6:25)

と願いを出させ、その通りとなり、ヘロデヤは恨みを晴らします。

悪が善に勝った瞬間です。

聖書はありのままの出来事を淡々と記しています。

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しかしこれは自分の罪過を覆い隠しただけで、根本的解決にはなっていません。

ちょうどそれは自分の顔についた泥を鏡で見た時のようなものです。

汚れを発見したら、「鏡を見ていてよかった」と感謝して顔を洗えば良いのに、その鏡をガチャンと割って捨てたのがヘロデヤでした。

自分の過ちを知らされた時、人はそれを正当化するものです。

しかし、神が教える方法は、神の方に顔を向けて、

「私はどうしたらよいのでしょうか」

と問うことです。

これを悔い改めと言います。

間違ったことをしたことが自分に滅びを招くのではありません。

自分の罪を知った時、悔い改めて神に立ち返るかどうかが救いを決めるのです。

ですから、人はどこかでキリスによるゆるしの福音を聞いておく必要があります。

また、クリスチャンは、たとえ相手が今理解できなくても、

「罪はキリストが十字架で代わって負って下さった。それを信じるだけで救われる」

という知らせを語っておくべきなのです。

そのようにしておけば、神は最もふさわしい時に、その人が理解できるように悔い改めと救いの真理を表してくださるのです。

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キリストを信じるなら罪はゆるされます。

この良き知らせを伝える今日として参りましょう。

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