今日のみ言葉【No.1482】(2017年 2月23日) 068 「病気の息子を持った役人」(1)
この人が、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることを聞き、みもとにきて、カペナウムに下って、彼の子をなおしていただきたいと、願った。その子が死にかかっていたからである。
(ヨハネ4:47)
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逆三角形で赤色の「止まれ」の道路標識が、これから順次付け替えられていきます。
日本語の「止まれ」の表記の下に、英語の「STOP」が追加されるのです。
理由はお察しの通り、2020年の東京オリンピックで訪日する外国人が増加するための備えです。
標識は自分以外の何か重要なことを指し示す働きをします。
ヨハネ福音書では奇跡を「しるし」と呼び、奇跡は別のもっと重要なことを示しているのだ、と読む者に教えているのです。
ですから、イエス様がなされた子どもの癒しの奇跡は、「治ってよかったね」「すごいね」で終わってしまったら、その目的を十分に果たしたとは言えません。
「しるし」が示しているものを、しっかりと捉える必要があります。
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今日の聖書個所の時期、イエス様の評判はガリラヤ一帯に知れ渡っていました。
イエス様のうわさを聞いて、ある役人がやってきました。彼はこの地方の王ヘロデ・アンテパスの宮廷に仕える高官でした。
長期に渡り病状が重く、今まさに死にそうな子供を抱えているこの役人は、自分の財産も高い地位も役に立たないことを感じていました。
いろいろ取りざたされていて、身なりも粗末な田舎出身のイエスという男に、王室の役人である人が息子の癒しをしきりに願っています。
そこには、子供の命が助かるならプライドも何もかもかなぐり捨てて、なりふり構わない父親の姿があります。
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父親は息子のために八方手を尽くしましたが、どうしようもなく、ついにイエス様の前に来ました。
しばしば神の祝福は問題という包装紙に包まれて送られてきます。
この役人も、息子の重病という問題がなかったら、イエス様と出会うという祝福に預かることは一生なかったでしょう。
彼は問題を解決し、問題を無くそうとしていますが、そうすれば問題という包装紙に包まれた神の祝福までも捨ててしまうことになります。
人間は自分の思いつく方法で、力まかせに包装紙をビリビリと破って捨て去ってしまおうと思いますが、必要なことは、ラッピングされているものを神の作法で開けることです。
イエス様は、そうするように彼にチャレンジします。
それが人生の「止まれ」の標識なのです。
そこでどのような反応を示し、どう選択するか。
それが人生の重大な分岐点となります。
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「止まれ」の標識の前では全力で止まりましょう。
そして、神が示されているものをキャッチするよう、祈っていきましょう。
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