今日のみ言葉【No.618】(2013年 7月26日)

その骨を取って、ヤベシのぎょりゅうの木の下に葬り、七日の間、断食した。
(サムエル記上31:13)

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サムエル記上の最後はサウルの死で終わっています。

彼は王に選ばれた時、荷物の間に隠れるほど謙遜な人でしたが、いったん権力の座につくと人が変わってしまいました。

サウルとダビデも共に王となり、共に完全な人ではなく、共に大きな失敗をしましたが、大きく違っていることがあります。

サウルは最後まで神の前に明確な悔い改めをしませんでした。

しかし、ダビデは人目もはばからず、王としてではなく一人の罪人として神の前に悔い改めました。

この点が同じ欠点を持つ人間でありながら、神に退けられるか神に愛されるかの違いを生んだのでしょう。

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もし失敗することが悪いのでしたら、何もしない方が良いということになります。

そうではありません。

失敗が悪いのではなく、悔い改めをしないことが悪いのです。

今日の聖句はサムエル記上の最終章最終句であり、イスラエルの悔い改めを表しています。

ここからイスラエルに神の祝福がまた降り注ぎはじめます。

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悔い改めの時期は、早ければ早いほどいいのです。

私の感覚で言えば、

「どうしようかな?もう少しやってみるか…。」

と薄々感じだした時です。

「これはダメだな。悔い改めないといけないな。」

という時は、とっくの昔に限界を越えています。

車を運転中に一気に反対方向へは行けません。必ずブレーキをかけ、止まってから方向を変えます。

悔い改めにもブレーキが必要なのです。

ただし、ブレーキをかけたらすぐ車が止まるかというと、そんなことはありません。

ブレーキを踏み続けて、それからようやく車は止まるのです。

ですから、7日に1回、日曜日を安息の日として休むことが人生のブレーキの日なのです。

そこで神を見上げ、立ち止まり、人生の方向を再点検するのです。

ブレーキなしの人生は、どんどんスピードがつき、人を追い越していくので大変気分がよいものです。

しかし、「危ない」と思った時にブレーキを踏んでも、すぐ止まれるかどうかの保証はありません。

あなたは今突っ走ってはいないでしょうか?

人生の運転も、適正な速度で、そして、定期的に止まりながら、方向を確認していきたいものです。

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神を見上げる時をもって参りましょう。