今日のみ言葉【No.2730】(2022年 1月26日)「神がさばきをなさる道で」

主よ、あなたがさばきをなさる道で、われわれはあなたを待ち望む。…。あなたのさばきが地に行われるとき、世に住む者は正義を学ぶからである。
(イザヤ26:8、9)

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一日の終わりに、

「今日は平穏な一日だった。特に何もなかった」

と思う時でも、詩篇139:23-24の祈りを祈ってみると、次々と自分の罪が示されるから不思議です。

具体的やり方は以前の御言葉メールを参考になさって下さい。

mikotoba.org/?p=2463

そこでどうするか?

聖書は、神のさばきを受けよと勧めています。

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人はさばきから逃れようとするものです。

隠れた罪が神の御前であらわにされた時、

「その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。彼は金をふきわける者の火のようであり、布さらしの灰汁のようである」
(マラキ3:2)

と言った預言者マラキと同じ思いを体験するからです。

しかし、イザヤは

「主よ、あなたがさばきをなさる道で、われわれはあなたを待ち望む」
(イザヤ26:8)

と言っています。

なぜでしょう?

それは、さばきの中でしか味わうことのできない神の憐れみがあるからです。

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神において、さばきと憐れみはワンセットです。

創世記の大洪水の際、罪人がさばかれる時、神はノアの一家を残されました。

十字架の両側の重罪人においては、その罪のさばきは取り去られませんでしたが、自分の罪を認め、イエスを救い主メシアと信じた者の方はパラダイスの確約を得ました。

神は、罪に対するさばきを通して罪人を救われる一面があるのです。

それを成し遂げるため、主イエスは自ら人の罪を引き受け、私たちが浮かび上がる代わりに、神の憐れみが全く無いというさばきを味わわれました。

「そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言われた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」
(マタイ27:46)

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イエス・キリストの十字架のゆえに、イエスを信じる者は、罪のさばきを恐れることなく、その中で神を待ち望むことができます。

「あなたのさばきが地に行われるとき、世に住む者は正義を学ぶ」
(イザヤ26:9)

からです。

神の正義を知り、御心の方向へ向き直し、主を待ち望む今日として参りましょう。

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