今日のみ言葉【No.2254】(2020年 4月23日)「キリスト教イロハ(65)『死(3)』」
罪の支払う報酬は死である。
(ローマ6:23)
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今回も聖書クイズから始めます。
「人間はいつから生きるようになったのでしょうか?」
次の3つから正しいと思うものを選んで下さい。
(1)土の塵からアダムが造られた時
(2)アダムに命の息が吹き込まれた時
(3)まじめに生き始めた時から
正解はもちろん(2)です。
生き始めがわかると、生きることの終わりの死とは何かがわかってきます。
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人間は神から命の息を吹き入れら、そこから生き始めました。
「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」
(創世記2:7)
息というヘブル語「ルアッハ」は、息の他に「風、霊」という意味も表します。
人間は肉体と霊が結びついた存在として「生きている」のだと聖書はここで暗示しています。
さて、人間には罪があるので、誰にでも死が定められています。
「罪の支払う報酬は死である」
(ローマ6:23)
吹き入れられていた命の息、すなわち霊が肉体から離れる時が死です。
肉体は霊と分離され、土のちりに戻ります。
「あなたが彼らの息を取り去られると、彼らは死んでちりに帰る」
(詩篇104:29)
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では、死によって分離された霊はどうなるのでしょうか?
旧約聖書の伝道の書にこうあります。
「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る」
(伝道の書12:7)
これを読むと、
「なあんだ、みんな神様に帰るんじゃないか。めでたしめでたしだ」
と安心する一方で、
「でも、罪ある魂には神の裁きがあるのではないか…」
という一抹の不安もよぎります。
人はみな心のどこかで、自分は地獄に行くのではないか、という恐れを感じているのです。
これに関しては、次回の「地獄」シリーズで取り上げます。
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自分は神から命の息を吹き入れられた霊的存在であることを思い巡らす一日として参りましょう。
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