今日のみ言葉【No.347】(2012年 7月 9日)

新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。
(第1コリント5:7)

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コリント教会には異邦人たちにもないほどの堕落がありました。

5章では性の乱れとそれに対する鈍感さが挙げられています。

父の妻、つまり義母と同棲する者がいて、教会の中ではそれを何ら問題と認めていなかったのです。

この手紙を書いたパウロはそのことを怒り、また悲しみ、

「彼の肉が滅ぼされても、その霊が主のさばきの日に救われるように、彼をサタンに引き渡してしまったのである。」
(第1コリント5:5)

と、その人と訣別する宣言をし、また教会にもそれを勧めています。

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これだけを読むと、パウロの言う教会像は大変厳しく、一つの過ちさえも許されず、即除名…、という印象を持たれるかも知れません。

実はコリント第1の手紙に前後にも彼は手紙を送っていたことが分かっています。

計4通ありましたが、残っているのは2通だけです。

なぜ残されなかったのかというと、内容が相当プライベートなものだったから、というのが聖書学者たちの一致した意見です。

つまり、パウロは個人名を挙げ、コリントの人たちの不道徳を諫め、厳しい口調で叱責し、正しい在り方に戻るように書いたのです。

コリントの第二の手紙ではそれによって悔い改めた者たちがいることが分かります。

パウロは厳しい愛をもって彼らに接したのです。

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今日の聖句、

「新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。」

とは、罪を犯した人を教会内から排斥せよ、ということではありません。

古いパン種とは人間の努力で罪を償おうとすることです。

この世ではそれは必要なことですが、神と人間との関係においては、いかなる人間の努力も不十分であることを聖書は語っています。

過越の小羊であるキリスト、つまり、十字架につかれたキリストの犠牲によって人間の罪は許されるのです。

そして

「あなたがたは、事実パン種のない者なのだ」

というのは、既に私たちは罪赦された者であるという事実を語っています。

いたずらに、

「あそこもダメだ、ここもダメだ」

と自分の至らなさを直そうと努力する前に、赦された者として歩むことが出来る、と新しい命の方向に目を向けることです。

「パン種のはいっていない純粋で真実なパン」

として生かされることが神の御心です。

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天の恵みを見上げながら一日を過ごして参りましょう。