今日のみ言葉【No.1865】(2018年10月25日)「 聖霊の働き(2)」
わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。
(ヨハネ16:7-8)
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聖霊の働きの第2番目は、何が罪であるかを明らかにしてくださるということです。
それは理性に訴えるというより、魂に響くような深い感じさせ方です。
つまり、
「こうだろう、聖書にこう書いてあるだろう、だからこういうことだろう」
と理詰めで納得させるられるというのではなく、いつの間にか
「あ、ああ、そうか〜。う〜ん」
と、うなってしまうような示され方です。
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具体的にやってみましょう。
詩篇139:23-24の御言葉を使います。
「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください」
(詩篇139:23-24)
これを自分の祈りとして、この通りに祈ってみるのです。
そしてしばらく待ちます。
すると、どんなに平穏に過ごせたと思う一日でも、聖霊はスライドショーのように私たちの罪の場面を次々と示して下さいます。
「あれは愛が足りなかった」
「面倒くさいと思って手を抜いていたなあ」
などと、聖霊にお任せすると本当に罪が示されます。
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罪が示された後、それを責めるのはサタンの仕事です。
しかし、聖霊は悔い改めと罪のゆるしへと私たちを導いて下さいます。
先ほどの祈りで示された罪の一つ一つを
「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」
(第1ヨハネ1:9)
の約束に基づき、神の御前にいることを意識して告白するのです。
告白するというギリシャ語はホモロゲオーと言い、「同じことを言う」という意味です。
自分では罪を犯したという感覚はなくても、神が罪と言う事なら、神と同じく
「それは罪でした」
と言うことが告白するということです。
そうすると、
「その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」
という結果が待っています。
いつの間にか罪の行為から離れている自分、以前やっていたことに全く魅力を感じなくなってしまっている自分に気づく時が来るのです。
そうやって私たちの魂の細かい部分からクリーンにし、神の前で何のわだかまりもない自由で軽い心でいられるよう、お手入れをしましょう。
その過程で聖霊の働きというものを実感していくのです。
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聖霊に罪を認めさせてもらい、それを神の前で告白し、罪の赦しを受けるクリーンな生活を享受する一日として参りましょう。
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