今日のみ言葉【No.3717】(2025年 9月 2日)「富の弊害と救い(1)」

イエスは彼の様子を見て言われた、「財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
(ルカ18:24-25)

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「地獄の沙汰も金次第」

ということわざは、室町時代の連歌集『犬筑波集(いぬつくばしゅう)』に、

「きけばただ地獄のさたも銭なれや」

という形で記されているのが起源だそうです。

もちろん、これは真面目な宗教的真理ではなく、当時の世相を風刺した皮肉にすぎません。

聖書では、人間が犠牲を払うことで救いが得られるのではなく、まして、お金の有無と救いとは全く関係がないことが明らかにされています。

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この当時、パリサイ人は、富は神に愛されている証拠だと教えていました。

民衆:「なぜあの人は富んでいるのですか?」

パリサイ人:「神様から愛されているからですよ」

私たちもそれと同じように、

「あの人は信心深いから、健康が与えられ、仕事も順調に行っている。やっぱり神様から愛されていると、ああなるんだなあ」

と言っているのではないでしょうか。

豊かな人ほど神様から愛されている。

人はそのように錯覚しやすいのです。

「富 = 神様からの愛」

パリサイ人の教えは単純でわかりやすいものでした。

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さて、財産に存在の根拠を置いていた金持ちの役人は、持っているものをみな売り払えというイエス様の命令を聞いて、非常に悲しんで去って行きました。

富があると人は富に頼りがちになり、神に寄り頼む方向には行き難いのです。

その役人を目で追って、イエス様は、

「財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」
(ルカ18:24-25)

と言われました。

これを聞いた弟子たちは驚きました。

「えっ、お金のある人は救われないの?」

という疑問です。

そこで、当然、

「それでは、だれが救われることができるのですか」
(ルカ18:26)

という質問が出てきます。

イエス様はどうお答えになるのでしょう?

以下、次回に続きます。

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神の愛はお金の有無とは関係ありません。

神の愛を見出す今日として参りましょう。

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