今日のみ言葉【No.2680】(2021年11月16日)「神の国の原理(5)」

人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。
(ルカ6:37)

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私たちの教会では洗礼式の時に2つの質問をします。

1つは、

「ご自分の意志で洗礼を受けられますか」

という質問です。

誰かに言われたから神を信じるというのではなく、本当に自分が選んだ選択であるということをはっきりさせ、神と自分との縦の関係を確立させるのです。

2つ目は、

「誰をもさばかないことを約束なさいますか」

という質問です。

もちろんこれは事前によく勉強して理解を得た上で、公の場でその意志を表すという意味での質問です。

そうでなく、その時突然聞かれたのでは返事に窮するほどのことでしょう。

今日の聖句は、その「さばかない」ということを語っています。

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神の国の原理は恵みを受けて行うことから始まり、そのことを当時のユダヤ人にわかりやすいように4つのまとまりでイエス様は語られました。

37節〜38節にもこの4つシリーズがあります。

さばかない4つの態度です。

消極的実例として、「人をさばくな」「罪に定めるな」という禁止令が使われ、積極的実例として、「ゆるしてやれ」「与えよ」と命じられています。

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なぜ、さばいてはいけないのでしょう?

これは裁判制度を否定することではなく、

「神のみが審判者である」

ということを言っているのです。

人を罪に定めることができるのは神のみです。

そして、ゆるしを与えることができるのも神様だけです。

神のみが人の心を知り、その人がしでかした行為の原因となったあらゆる事柄をご存知であり、行動に至るほどの影響を与えた出来事を知り、責任を正しく判断できるからです。

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私たちは、命を与えられた者として、神の前に自分を下にしなければなりません。

そうやって初めて神の視点で物を見ることができるようになります。

すると、自分の不完全さを受け入れることができるようになり、その私が恵みによって造り変えられつつあることがわかります。

慈悲深い天の父なる神のゆるしを受けた者として生きているのだ、と知る時、さばかないということの実体がわかってくるのです。

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さばきとゆるしの問題は人間の本音と深く関わっています。

まず神の恵みを受け、それに応答するあなたなりの一歩を進めて参りましょう。

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