今日のみ言葉【No.2642】(2021年10月 1日)「十二使徒の選抜(1)」

ジェームズ・ティソ作「使徒たちへの奨励」

夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。
(ルカ6:13)

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「推し(おし)」という現代用語があります。

もともとはアイドルグループの中でお気に入りのメンバーを指す言葉でしたが、最近はアニメや漫画、スポーツの世界にも広がって用いられるようになりました。

キリストの十二使徒は、この「推し」のような好みで選ばれたのではなく、人間とは全く違う神の次元で選ばれました。

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イエス様の周りには2種類の人々がいました。

それは17節にある通り、「大ぜいの弟子たち」と「大群衆」です。

「群衆」とは、もらいたい人で、得をするので近づいている人たちです。

ですから、もらえなくなると来るのをやめて離れます。

日曜日に

「そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、『ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ』」
(マタイ21:9)

と「推し」ていたのに、同じ週の金曜日には

「ピラトは言った、『それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか』。彼らはいっせいに『十字架につけよ』と言った」
(マタイ27:22)

とあるように、キリストを見捨てるのです。

一方、「弟子」とは、イエス様の教えに感動し、従っていきたいと思ってついてきた人たちです。

彼らは、もちろんもらえたら嬉しいですが、それよりは自分の方から捧げたいと思い、犠牲を払って神様に従っていきたいと決心している人たちです。

この熱心な人々の中から、さらに側近くに置く12人を選ぶには、どんな基準で、どのようにして選んだらいいのでしょうか?

それは次回、見ていきましょう。

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あなたは群衆の側ですか、弟子の側ですか?

弟子側でなければ救われない、などということではありません。

救いは信仰によって成されるからです。

何かあるとすぐめげてしまう人も、死んでもついていきたいと思う強い心の持ち主の人も、両方共イエス様を自分の罪からの救い主だと信じていれば救われており、永遠の命が与えられています。

具体的な御言葉は、

「キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと」
(第1コリント15:3-4)

です。

キリストが私の罪のために十字架上で死に、それが罪の贖いのために十分だと神から認められ、その保証として復活があったのだと信じる時、私たちはその信仰によって神から義と認められ、救いを得るのです。

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今ある場所から天に向かって進んで行きましょう。

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