今日のみ言葉【No.2564】(2021年 6月17日)「キリスト教イロハ(162)『ルター(1)』」
神の賜物と召しとは、変えられることがない。
(ローマ11:29)
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マルティン・ルターは16世紀に活躍した人物なので聖書には出てきませんが、キリスト教のプロテスタント教会の始まりとなった重要人物です。
彼については一般的・学術的に多く研究されており、名前を入れてネット検索すれば膨大な情報がすぐ得られます。
ここでは彼の信仰面について述べていきます。
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ルターはエリート法学生で、周囲から将来を嘱望されていました。
ところが、彼は修道士になると言い出します。
ひとつには、彼の学友が突然ベッドの上で病死していたこと。
もう一つは彼の雷体験です。
ある日大雷雨に見舞われ、雷がルターの前に落ち、その風圧で彼は地上に投げ倒されました。
彼はとっさに聖アンナ(カトリックの聖人)に助けを求めて、「修道士になります」との誓いをしました。
それで修道士の道を選ぶことになりました。
人生の決断とはそのように起こるものなのです。
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父ハンスは大反対でした。
法律家になれば前途洋々とした未来が約束されており、貴族に列する可能性もあったからです。
さて、後にルターが司祭となり、初めてミサを司式した時のことです。
お父さんは出席してくれました。
ルターは父のゆるしを求めるために、自分が司祭になったことについて父の感想を聞いてみました。
すると
「学者の皆さま、父母を敬いなさいということを聖書のなかでお読みになったことはないでしょうか」
と自分の心持ちを打ち明けたのです。
それを聞いたある人が
「マルティンは神の召しを受けたのです」
と彼の心を和らげようとしてとりなしてくれました。
父ハンスはこれに
「神の召しと思ったのは、悪魔の声であったかも知れません」
と反論しました。
息子のルターはどうしていたでしょう?
彼はただ沈黙を守っていたそうです。
「ルターとしては、ただ神が備えられた道を歩むほか、なすべきすべを知らなかった。彼は『あれか』『これか』を決定しなければならない危機の瞬間が、信仰者の生涯には、しばしばあることを知ったにちがいない」
(『改革者マルティン・ルター』、岸千年著、聖文舎、P50)
信仰の決断は紙一重なのです。
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「神の賜物と召しとは、変えられることがない」
(ローマ11:29)
という確信は、時に揺さぶられます。
その都度、新たな気持ちで神と自分との関係を確かめて参りましょう。
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