今日のみ言葉【No.1122】(2015年 9月 3日)

わたしの手から、この怒りの杯を受けて、わたしがあなたをつかわす国々の民に飲ませなさい。
(エレミヤ25:15)

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国税庁といえば「お堅い役所」というイメージがありますが、国税庁サイトには

「あなたはお酒が強い人?弱い人?」

なるページがあります。

ビールや発泡酒を3缶飲んだら、その内の1缶分は税金と考えてよいくらいの酒税が課せられていますから、そういうページがあってもおかしくありません。

https://www.nta.go.jp/tokyo/shiraberu/sake/seminar/h19/02/02.htm

爽快期→ほろ酔い期→酩酊期あたりで周りに迷惑をかけ出し、次の泥酔期、そして昏睡期まで行くと死に至る危険性があります。

このような酒の恐ろしさを通して、エレミヤは神の怒りを表現しています。

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エレミヤ書第25章には、主の激しい怒りがあらゆる国々に下されることが記されています。

エレミヤはこれを「怒りの杯」と表現しました。

強い酒を飲んだ時、人は酔ってよろめき、どんなに頑張っても倒れてしまうからです。

「万軍の主はこう仰せられる、見よ、国から国へ災が出て行く。大きなあらしが地の果からおこる。その日、主に殺される人々は、地のこの果から、かの果に及ぶ。彼らは悲しまれず、集められず、また葬られずに、地のおもてに糞土となる。」
(エレミヤ25:32-33)

身の毛もよだつ恐ろしい表現です。

私たちはこれを「物語」としてでなく「歴史」として学校の社会科の時間に習っています。

神の言葉は単なるストーリーとして語られるのではなく、現実として達成され、残されるのです。

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この神の「怒りの杯」を飲んで下さったのがイエス・キリストです。

神は義で聖なる方ですから、人間の罪を無視することができません。罪は罰し、裁きを下すのが神の当然の姿です。

と同時に、神は愛なる方ですから、人間が一人として滅びることを望まず、救いたいと思っておられます。

この父なる神の義と愛を全うするために世に来られたのが御子イエス・キリストです。

彼は神のひとり子であり、何の罪もない御方なので、人類のすべての罪を負うことができました。

愛の御方なので、父なる神からの強制や義務ではなく、自ら進んで十字架につき、全人類の罰をその身に受けられ、身代わりとなられました。

しかし、神の「怒りの杯」を飲み干すことは、言葉で表すことができないほど大変なことです。イエス様御自身、相当の葛藤を味わわれました。

「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」
(マルコ14:36)

人間としての思いを述べ尽くされ、最後は神に服従し、キリストは神の御心のとおりに生き切りました。

このキリストゆえに、神の義は全うされました。いわば、罪人たちの罰金が全部キリストの命という高価な代価で全額払われきったということです。

ですから、自分の罪はあのイエス・キリストの十字架によってすべて始末されたのだと信じるだけで救われます。これで神の愛が全うされました。

エレミヤ書で表された神の激しい怒りからは、イエス・キリストを信じることによって逃れられます。

何という恵みでしょうか。

この幸いの中に、私たちは生かされているのです。

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キリストの恵みを味わう一日として参りましょう。

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