今日のみ言葉【No.316】(2012年 5月26日)
あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」。
(使徒18:10)
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パウロはコリントの町で伝道を始めました。
一大商業都市で港町。コリントは決して風紀の良い町ではありませんでした。
しかし神はここで福音を宣べ伝えよと幻の中でパウロを促しました。
「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。」
(使徒18:9)
そして今日の聖句の約束をくださったのです。
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ところが、この後、
「ところが、ガリオがアカヤの総督であった時、ユダヤ人たちは一緒になってパウロを襲い、彼を法廷にひっぱって行って訴えた」
(使徒18:12)
とあります。
「だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。」
という約束を与えられながら、パウロは襲われ、捕らえられてしまいました。
まさしく「ところが」です。
現実の生活の中には、この「ところが」があるのです。
神に愛されていると言われているのに、御言葉が与えられているのに、時に病み、苦しみ、亡くなっていく…。
どうしてそうなるのか、約束が違うのではないか、という現実に私たちは直面します。
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しかし、ここに神の「ところが」があるのです。
総督ガリオの一番の優先順位は町の治安を守ることです。
彼は、この訴えは町の治安を乱す犯罪ではなく、ユダヤ人同士のもめ事だと正しく判断し、ユダヤ人らを法廷から追い払ってしまいました。
神の約束も御言葉もあったものではない、と思う最後の土壇場で、神はいろいろな人をお用いになり、約束を果たし、御言葉の確かさを示してくださるのです。
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第二次世界大戦中、ユダヤ人らはナチス・ドイツによる大量虐殺(ホロコースト)という現実を通りました。
イスラエルのホロコースト記念館を訪れた時、私は600万と言われる犠牲者の数と、写真や映像によるその証拠に圧倒された思い出があります。
しかし、この大きな出来事を体験したことにより、ユダヤ人らは「我々の国が必要だ」と強く考えるようになり、1948年、現在のイスラエルが建国されます。
世界中に散らばり、流浪の民となっていたユダヤ人らが、1900年という長い年月を経て、再び集まったのです。
「あなたの神、主はあなたを再び栄えさせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主はあなたを散らされた国々から再び集められるであろう。」
(申命記30:3)
なぜあのように多くの人々が犠牲にならねばならなかったのか、なぜ神はナチスの存在を許したのか、それはわかりません。
しかし確かなことは、一時、世界の歴史からも地理からも消えてしまったイスラエルが復活し、現在も存在しているということです。
神は人間の思いを超え、約束を成就されるお方なのです。
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神の約束を信じ、今日の一日を歩んで参りましょう。
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