今日のみ言葉【No.317】(2012年 5月28日)
人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。
(使徒19:5)
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バプテスマ(洗礼)という言葉は、バプティゾー(浸す)という語から来ています。
洗礼式で水に浸されるのは、葬りと復活を意味します。
水の中に入れられるのは、古い自分に死ぬという象徴です。
そして水から引き上げられます。新しい命に生きるという象徴です。
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今日の聖句に出てくる人々は、バプテスマのヨハネによる洗礼は受けていましたが、そこで止まっていました。
つまり、罪の悔い改めまでは行っていたのですが、聖霊の力によって新しい命に生きるということは知らなかったのです。
そこで彼らは、主イエスの名によるバプテスマを受けました。
「そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。」
(使徒19:6)
過去の罪が許されたことはこれ以上ないほどの喜びです。
しかし、それだけでは本当の解決にはならないのです。
聖霊による新しい命がなければ、また今まで通りの過去の繰り返しが始まるからです。
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Kさんはいつもうつむき加減で歩くクリスチャンでした。
彼女の口癖は、
「イエス様の十字架は私の罪のためです。イエス様は私のためにお苦しみになりました。」
というものでした。
確かに神学的にはその通りなのですが、これだけだと自分を責める方向に行きがちです。
やがて彼女は自分が十字架で止まっていたことに気がつきました。
十字架の後に復活があり、その後更に聖霊が下ったことに目が開かれたのでした。
彼女はその良き知らせを受け入れ、聖霊によって導かれる新しい生き方を歓迎しました。
数ヶ月後、背筋をシャンと伸ばし、笑顔で「ハレルヤ!」と挨拶するKさんがそこにおられました。
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神の新しい命をいただいて、「ハレルヤ!」と言いながら今日も過ごして参りましょう。
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