今日のみ言葉【No.2433】(2020年12月18日)「十字架の死(4)」

見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
(ヨハネ1:29 )

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新約聖書最後のヨハネの黙示録は解釈するのが難解な書です。

隠喩や象徴という技法が多用され、特に旧約聖書の知識に精通していることが前提となっているからです。

たとえば、

「ほふられたとみえる小羊」
(黙示録5:6)

と書いてあるところで

「あ、イエス様のことだ」

とピンときた人は、出エジプト記の過越の小羊の箇所を知り、その意味を知っているので正しく解釈できるということです。

イエス・キリストの十字架の死は、まさにこの神の小羊としての死でした。

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イエス様は人間なら誰でも味わう肉体の死を経験されました。

「イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた」
(マルコ15:37)

そして神の審判による死も経験なさいました。

それは

「そして三時に、イエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」
(マルコ15:34)

とされた時です。

罪のないイエス様が罪あるように審判されて死んだのです。

バプテスマのヨハネはこれを事前に正確に言い表していました。

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」
(ヨハネ1:29 )

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旧約聖書の出エジプト記で、最後の10番目の災いがエジプトに下される時、神はモーセを通して民にこう命ぜられました。

「あなたがたは急いで家族ごとに一つの小羊を取り、その過越の獣をほふらなければならない」
(出エジプト12:21)

これが過越の小羊であり、バプテスマのヨハネが言った「神の小羊」です。

「過越(すぎこし)」とは、10番目の災いをもたらす死の使いが、小羊の血を塗った家の前を過ぎ越したからです。

小羊は民の身代わりとなり、死にました。

これは後のイエス・キリストの十字架の死を予表したものです。

しかも、キリストが十字架につけられた日は、まさにその過越の祭りの日だったのです。

このことは、私たちの罪の身代わりとなって、イエス・キリストが神の審判を十字架上で受けたことを意味します。

ですから、私たちがイエス・キリストを信じた時、神の審判の前に立たされたとしても、罪の無い者として、そこを通り過ぎていくことができるようになったのです。

これが永遠の命が与えられているということです。

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キリストの十字架の死によって、この私が生かされることを覚え、感謝と賛美の日々を送って参りましょう。

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