今日のみ言葉【No.2380】(2020年10月15日)「キリスト教イロハ(104)『贖罪(2)』」
あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。
(創世記2:16-17)
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ハーベストタイムの中川健一師が、イスラエルのオレンジ畑の中で収録をした時のことです。
バスの運転手さんが他人の畑にもかかわらず、オレンジをもいで食べ始めました。
それは盗みではないかといぶかる中川師に対して、彼は「イスラエルではこれくらい何でもないのだ」と説明し始め、「お前もどうだ」とオレンジを半分差し出してきたそうです。
確かにモーセの律法にこうあります。
「あなたが隣人のぶどう畑にはいる時、そのぶどうを心にまかせて飽きるほど食べてもよい」
(申命記23:24)
ところが、その次に
「しかし、あなたの器の中に取り入れてはならない」
(申命記23:24)
とありますから、「収穫」という行為になれば罪となります。
神様は、ここまでは大丈夫だが、あるところから先は罪となるという基準を設けられました。
創世記のエデンの園の出来事で、そのことがはっきりと示されています。
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前回に引き続き、「贖罪」を説明するために、聖書で用いられている「罪」の意味について触れていきます。
罪とは、神に対する反逆です。
反逆と言うと大げさな感じがしますが、罪とは神が定めた基準を破ることだと創世記で述べられています。
アダムとエバには自由が与えられていました。
「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい」
(創世記2:16)
その自由に一つの制限が加えられています。
「しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない」
(創世記2:17)
これが神の基準でした。
ただし、それ以外はまったくの自由であり、善悪を知る木の実を食べなければ死ぬというような生存の制限は一切なく、その命令さえ守っていれば彼らは十分幸福に生きていけたのです。
神は人間に無制限ではないが、生存するのに十分な自由を与えます。
人間は神の基準に従い、感謝と喜びを持って生きていきます。
これが神と人間との間で保たれるべき正しい関係なのです。
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しかし、彼らはその実に手を出し、食べてしまいます。
これは神の命令に反したことであり、神よりも自分の考えが正しいとしたことになります。
つまり、自分を神として生きるようになったということです。
これが聖書で言う罪なのです。
現代の日本人が描く「罪」には、法律を無視して他者に危害を加えた極悪人というイメージがあります。
しかし、聖書の罪と日本人一般の感覚は一致しません。
神と人間との正しい関係が失われた状態が聖書で言う罪なのです。
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さて、この罪が今の私たちとどのような関係があるのでしょうか?
それは次回以降に譲ります。
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神の基準があることを心に留め、意識しつつ今日の一日を送って参りましょう。
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