今日のみ言葉【No.1409】(2016年11月11日) 043 「ザアカイ」(1)
ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。
(ルカ19:2)
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漢字通りには読めないキラキラネームと呼ばれる名前があります。
(1)「七音」
「ななね」ちゃん?いいえ、「どれみ」ちゃんです。
(2)「頼音」
まさか「らいおん」君?はい、そうです。その通りです。
(3)「今鹿」
はあ?「いましか」さん?ええ、これは「なうしか」と読ませるそうです。
古今東西、名前には子に対する親の気持ち込められています。
さて、今日の聖書に出てくる「ザアカイ」とは純粋という意味です。
漢字の名前なら、清くんとか純一くんという名前になるでしょうが、大人になった彼の生き方は、それとは全く正反対で、不正をして蓄財する人となっていました。
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ザアカイが住んでいたエリコという町は、重要な通商路に位置し、バルサムやなつめ椰子を世界各地に輸出する町でした。。
ローマ帝国はここに通関所・取税所を置き、ユダヤ人を雇って税を取り立てていました。
ユダヤ人たちは、敵国ローマのために税を取り立てた取税人たちを「売国奴」とさげすみ、罪人呼ばわりしました。
また、取税人の中には不正をして、かなり私腹を肥やしているものがいました。
このような背景の中で、イエス様と取税人ザアカイとの出会いがありました。
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ザアカイは相当努力をした優秀な人であったことがうかがえます。
「この人は取税人のかしらで、金持であった。」
(ルカ19:2)
とるように、彼は取税人の中でもトップに位置し、財産をしっかり貯める生活をしていたことは間違いありません。
しかし、周りの人間関係に恵まれていなかったことが想像できます。
「彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。」
(ルカ19:3)
とあるからです。
良い人間関係があれば、
「あら、ザアカイさん、いつもお世話になってます。まあ、気づかないですいませんでした。ささ、こんなところにいないで、一番前に出て下さい。」
とでも言われていたかもしれません。
しかし、誰も彼に気づかなかったのか、あるいは気づいていても、わざと前に出られないようにされていたのかもしれません。
取税人のかしらザアカイは罪人中の罪人、として見られていたからです。
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彼はこのような逆境をバネにして生きてきたからこそ、取税人のかしらまで登り詰められたのでしょう。
今やこの世の地位と安定、経済的繁栄、物の豊かさを享受できています。
しかしそれでも心は満足しません。
彼には真の意味での「愛される」という体験がないからです。
何かが足りない、乏しい、と無意識に感じる魂の飢え渇きが、イエス・キリストを一目見たいという強い願望となって、彼を木に登らせるという行動に走らせたのではないでしょうか?
このザアカイにイエス様の方から無条件に会いに来て下さいます。
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魂の飢え渇きを感じている人と、イエス様は会って下さいます。
出会いが用意されている今日であることを信じて、一歩進みだして参りましょう。
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