今日のみ言葉【No.1210】(2016年 1月18日)
以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。
(ダニエル6:10)
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辛口のサッカー評論家セルジオ越後氏が、今年の高校サッカー決勝戦でのあるプレーについて熱を込めて注意を喚起していました。
それは、優勝した東福岡高校のトリックプレーです。
https://www.youtube.com/watch?v=3j_iMyWL2Iw
セルジオ越後氏は子供たちのサッカー教育に貢献してきた方なので、この形だけをマネしそうだと危惧の念を抱いたのでしょう。
大事なことはキックの精度だと力説していました。
形でなく本質をとらえること。
ここが私たちが追求すべきところです。
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ダニエル書第6章は、ダニエルが獅子の穴に投げ込まれた有名な話です。
ダリヨス王のもと、大いに力を発揮したダニエルは妬まれ、彼を失脚させようとする企みが進行していました。
それは、王以外の者を拝む者は死刑に処せられるという法律の制定です。
「すなわち今から三十日の間は、ただあなたにのみ願い事をさせ、もしあなたをおいて、神または人にこれをなす者があれば、すべてその者を、ししの穴に投げ入れるというのです。」
(ダニエル6:7)
ダニエルは10節で
「ダニエルは、その文書の署名されたことを知って」
とありますから、その地から命からがら逃げ去ったのでしょうか?
いいえ、いつものようにいつもの場所で彼は神に祈りを捧げ、感謝しました。
10節の後半はこうなっています。
「家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。」
この後、ダニエルは法律に定められた通り、ししの穴に投げ込まれますが、無事に戻ってきます。
彼を陥れようと訴え出た者たちの企みがわかった王は、逆に彼らをししの穴に投げ込み、ダニエルの敵は自滅してしまいます。
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ここで大事なことは、形を追求しようとしないことです。
つまり、
「いざという時に助かるための方法として、今日から2階の部屋でお祈りしよう。エルサレムの方角だったな。窓は開けるんだっけ。一日に3回、膝をかがめて祈る。よし、これで大丈夫!」
ということではありません。
大事なのはキックの精度。本質です。
ダニエルは神に忠実に祈り、その結果がどんなことであっても感謝しました。
この神への信頼がポイントなのです。
祈っていればライオンの穴に投げ込まれても食い殺されない…、のではありません。
キリストの弟子たちでも、ペテロは助かりましたが、その前にヤコブは殺されています。
ステパノは石を投げ打たれて殉教しました。
つまり、いつでも自分の思う通りの方法で事が解決する、ということではないということです。
自分の願いどおりになる時もあり、思う通りにいかない時もあるのです。
肝心なことは、祈りと感謝を続けることです。
この繰り返しが「習慣」となり、習慣となった行動が「品性」を造り出し、そして「希望」へとつながっていきます。
「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」
(ローマ5:3-4 新改訳)
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今日も祈りと感謝の時を持つ一日として参りましょう。
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