今日のみ言葉(2012年 2月11日)【No.242】
イエスが、まだ話しておられるうちに、会堂司の家から人々がきて言った、「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい」。
(マルコ5:35)
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会堂司ヤイロは必死でした。自分の娘が死にかかっていたからです。
あらゆる手を尽くしましたが病状は一向に良くなりません。
そんな時、彼はナザレのイエスの話を耳にします。
病を癒し、悪霊を追い出す力のある方だという人々の噂を聞くのです。
しかし彼はユダヤの会堂の管理者なので、パリサイ人が敵視するイエス様にお願いをすることなど考えられませんでした。
そんなことをすれば、彼の会堂司としての地位は剥奪され、その地で生きることさえままならない状態になるかもしれません。
しかし、ヤイロにとって、自分のすべてをかなぐり捨ててでも娘の命が大事だったのです。
彼はイエス様の前に身を投げ出し、娘を癒して下さるように頼みます。
それに応えて、イエス様は彼の家へと向かいます。
何という希望の瞬間でしょうか。
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ところがここに12年間も長血を煩っていた女性が現れます。
イエス様の衣の裾にさわったところ、たちどころに癒されたのです。
ここでしばしの時間が取られました。
ヤイロはやきもきしながらこの光景を見つめていたことでしょう。
一刻も早く、娘の命があるうちにイエス様に来ていただき、癒してもらいたい。
しかしイエス様のこの女に対する癒しの働きを止めることは出来ない…。
そうこうしている内に、「あなたの娘はなくなりました」という最悪のニュースが届けられました。
希望の山頂に登ったと思った次の瞬間、絶望の谷底に突き落とされたのです。
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人生には絶望の時間を過ごさねばならない時があります。
誰をも恨むことが出来ず、ただその事実を受け止め、望みが絶えたのだと自分に言い聞かせながら、立ち続けなければならない時があるのです。
しかしそこでヤイロはイエス様の言葉を聞きました。
「恐れることはない。ただ信じなさい」
ヤイロの家に到着したイエス様は、少女を生き返らせました。
絶望から歓喜への瞬間です。
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イエス様は死をも支配される力の持ち主だということがここの中心ポイントです。
イエス様は命の主なのです。
ただ単に死人をよみがえらせる力のある方だ、というところにとどまっていてはいけません。
永遠の命を与える権威をお持ちのお方だということです。
その理解に至って、私たちは挫折や絶望に打ち負かされて消えてしまう希望ではなく、たとえ望みが絶たれても、よみがえり、新たな希望を持ち続けることができるのです。
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希望は失望に終わることがありません。その事を信じ仰ぐ一日として参りましょう。
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