今日のみ言葉【No.2366】(2020年 9月29日)「ユダの裏切り(7)」

Official髭男dism「Pretender」

「友よ、なんのためにきたのか」
(マタイ26:50)

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愛する人との別離の辛さは、昔から多くのラブソングの中で歌われています。

それでもずっと待つというケース。

「私待つわ いつまでも待つわ たとえあなたが ふり向いてくれなくても」
(『待つわ』、あみん、作詞・作曲 岡村孝子)

待っていても人には限界がありますから、あきらめるという選択をする歌。

「あきらめました あなたのことは もう電話もかけない」
(『かもめはかもめ』、研ナオコ、作詞・作曲 中島みゆき)

昭和だけでなく、令和の今も人の気持ちは同じようです。

「グッバイ 君の運命のヒトは僕じゃない 辛いけど否めない でも離れ難いのさ」
(『Pretender』(プリテンダー)、Official髭男dism、作詞・作曲 藤原聡)

人間は結局、自分の存在を守るため、待ったり、あきらめたり、合理的解釈をしたりの選択をします。

自分の命を捨ててまで愛するのはイエス・キリストです。

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ユダはゲツセマネの園に兵隊たちを引き連れてやって来ました。

彼らはイエスを捕縛せよとの命令を受けていましたが、そのイエスなる人物が誰だかわかりません。

まして、月が出ているとは言え、夜のことです。

そこでユダは、イエス様がどこにいるかわかるように、

「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」
(マタイ26:48)

と彼らと事前に打ち合わせをしていました。

そして、

「彼はすぐイエスに近寄り、『先生、いかがですか』と言って、イエスに接吻した」
(マタイ26:49)

イエス様はユダが裏切ることをご存知です。

どのような態度で彼に接するのでしょうか?

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驚くべきことに、イエス様の反応は、

「友よ、なんのためにきたのか」
(マタイ26:50)

でした。

「友よ」

とは、当時の律法の教師(ラビ)が自分の弟子に呼びかける言葉です。

イエス様はこの段階に至っても、つまり、裏切ることが確定している状態であっても、ユダを弟子として取り扱っておられるのです。

そして、

「なんのためにきたのか」

とは、最後の瞬間まで悔い改めのチャンスを与えておられる言葉です。

「何のため?あなたを裏切って祭司長たちに渡すためだよ」

もしユダがまともに答えたなら、こういう言葉になったでしょう。

しかし、この最後の瞬間でも、まだ

「あっ、私は何をしていたのだろう!先生を裏切るなんてとんでもないことを考えていたものだ。今からでもゆるして下さい」

と、彼は考えを変え、方向転換し、悔い改めることはできたのです。

イエス様は最後の最後まで、ユダが自分の意志で選び取る自由を与え続けられました。

これは、イエス様が、最愛の人から裏切られるという強烈なストレスを味わいながらも、その人を愛し続けたということを表します。

人間ができる愛の規模をはるかに越えた神の愛です。

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イエス・キリストはあなたを人として扱い、最後まで愛される御方です。

たとえ私たちがその愛を感じることがなくても、キリストの深い愛は変わりません。

その愛で最後までユダは愛されていましたが、とうとうイエス様の愛を受け入れずに彼は人生を終えました。

私たちはどうでしょうか?

イエス・キリストの愛に、深く思いを馳せる今日としていきたいものです。

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