今日のみ言葉(2012年 5月12日)【No.304】
議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた。
(使徒6:15)
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初代教会でステパノという人は、神の恵みと力とに満ち、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていました。
反対派がステパノと議論しても、
「彼は知恵と御霊とで語っていたので」
対抗することが出来ませんでした。
そこで彼らは、民衆や長老たちや律法学者たちを煽動し、ステパノを議会に連れ出しました。
その時、今日の聖句の
「彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた。」
のです。
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人は神の御心を行い、平安に満たされると、天使のような穏やかな顔になるようです。
何事もないから平安でいられるのではなく、ステパノのように嵐の中に巻き込まれている最中に味わう平安です。
彼には人間的力はなく、反対派の思うがままに連れ回されました。
その人間の弱さの中に神の強さが現されるのです。
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米沢市に北山原というキリシタン処刑地があります。
江戸時代、幕府の禁令にもかかわらず、甘粕右衛門という上杉藩の上級武士をリーダーとして1万人もの信者がいたとされています。
お殿様は彼にキリスト教の棄教を迫りましたが、甘粕は受け入れず、一族郎党、処刑ということになりました。
「甘粕家一門の信者14名は、寛永5年12月18日(1629年1月12日)未明、聖母像を先頭に粛々と処刑場へ向かい、祈りを捧げたのち幼い者から順に殉教していきました。」
(山形県メールマガジン第156号より)
全員で57名が処刑されたことを記す歴史文書の中に、雪の中を歩む彼らの顔は天使のように見えた、と記されているそうです。
弱さをゆだね、はっきりと見るべきものを見ていく時、私たちの心は平安に満たされ、天使のような顔に見えるのです。
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私たちの弱さに現れる神の強さを見て参りましょう。
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