今日のみ言葉(2012年 2月20日)【No.243】
それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。
(マルコ6:20)
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ヘロデ王は矛盾に満ちた人でした。
彼はバプテスマのヨハネから、兄弟の妻ヘロデヤとの結婚は違法だ、と厳しく糾弾されました。
ヘロデはヨハネを捕らえ、獄に入れてしまいましたが、その教えを喜んで聞いていました。
ヘロデは、聖なる生活と肉の欲を満たす生活の2つを追い求め、両方とも手に入れようとしていたのです。
しかしこの2つは両立しません。
私たちは二つのうちのどちらかを選び取っていかなければならないのです。
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私はこの聖書個所を最初に読んだ時、ヘロデこそ自分自身の姿だと思いました。
肉の生活を断ち切ることが出来ないが、なお真理についての生活も知りたい、という教会に来たての頃です。
「その教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていた」
という表現はまさしく自分の姿だったので、しばらくマルコ6章は読まずに、自分の本当の姿に触れられないように過ごしていたほどです。
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肉の生活も聖なる生活もどちらも選べずに行き詰まった私たちは、自分で自分の生活を何とかしようと握りしめたままです。
しかし、そのありのままを神の御前に持って行くことが道開かれる秘訣です。
ルカ15章で放蕩息子が落ちぶれた姿のまま父の元に帰ってきたように、そのままの姿で神様に自分自身をお預けするのです。
放蕩息子の父は、
「哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。」
とあります。
神もそのように私たちを受け入れ、迎え入れて下さるのです。
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そのままの私を神に差し出す時を持って参りましょう。
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