今日のみ言葉【No.2186】(2020年 1月28日)「宮清め(2)」

2020年1月28日

そして、彼らに教えて言われた、「『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえらるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」。
(マルコ11:17)

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ズバリと嫌な自分を見せつけられた時、どうしたらいいのでしょう?

「いやいや、まずまず」

と言ってごまかしながら逃げる。

あるいは、

「あなただってそうでしょう!」

と立ち向かう。

または

「みんなそうなんじゃないですか」

と度合いを薄める。

様々な方法を人間は取りますが、神が望むやり方とは一体どういうものなのでしょう?

宮清めの出来事で神の御心が見えてきます。

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葉だけ茂って実のないイスラエルには、もはや神を拝する真実な心は見られません。

霊的命あふれるはずだったエルサレムの宮にあるのは、利益優先主義と打算のみでした。

イエス様は、彼らがよく知っている預言者たちの言葉を用いて、自分たちの本当の姿を見せつけられたのです。

預言者イザヤが

「わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである」
(イザヤ56:7)

と言っていたことはユダヤの教育を受けている者なら誰もが知っていることです。

またエレミヤはこう言いました。

「わたしの名をもって、となえられるこの家が、あなたがたの目には盗賊の巣と見えるのか。わたし自身、そう見たと主は言われる」
(エレミヤ7:11)

神殿で神に仕える働きをするはずの人々は、このような知識を持っていたのです。

しかし、習ったことと現実が一致していませんでした。

彼らは神の言葉を無にしていたのです。

イエス様がこう言う通りです。

「そして、彼らに教えて言われた、「『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえらるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」
(マルコ11:17)

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イエス様はこのような誤った態度を大目に見たり、無きがごとく振る舞うお方ではありません。

厳しい態度で彼らに臨まれました。

これは信仰の厳しさであり、神の愛の中にはこの厳しさが含まれているのです。

神は極めて厳重にご自身の言葉を現実に適用される御方です。

その厳しさを知り、と同時に、その厳しさにもかかわらず神は愛であることを知った時、私たちの信仰は初めて健全なものとなります。

私たちも内に聖霊を宿す神の宮ですから、祈りの家ともなり、また、強盗の巣ともなる可能性をはらんでいます。

進んで宮清めを受けるか、それとも

「祭司長、律法学者たちはこれを聞いて、どうかしてイエスを殺そうと計った」
(マルコ11:18)

とあるように、イエス様の言葉を聞かなかったことにして抹殺しようとするのか、ここは分かれ道です。

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イエス様の宮清めを受ける時、つまり、自分の本当の姿を見せられた時は、あれこれ言い訳をしないことが肝心です。

言い訳は事実をごまかすことにつながるからです。

また、意外に思われるかもしれませんが、「こんなことではダメだ」と即座に自分の行動を変えようとすることが正解とは言えません。

うわべを変えても中身が変わらず、ダメだダメだと自分を打ち叩いていては直るエネルギーも枯渇して元の木阿弥になるからです。

適切な対応は、十字架の罪の赦しを信じ、自分の罪を神の前に告白して赦しをいただき、後はそのゆるされた恵みを信じて喜んで生きることです。

N子さんはその宮清めを受けた人です。

彼女は通販で商品を購入した際、不快に思うことがありましたが、それを訴えることのできない自分の弱さを感じ、ずっと我慢していました。

「言ったら言い返される。だから言わないでおく。そうすれば波風が立たなくて安心だ」

これが彼女が習得した人生の知恵だったのです。

しかし同じことが度重なるので、とうとう意を決してカスタマーセンターに電話しました。

「どうしよう、ちゃんと言えるかしら…」

自分は弱く、臆病な者だと思っていたので、ドキドキしながら電話をかけましたが、担当者とつながった瞬間から怒りが爆発し、居丈高にクレームを訴え、自分でそれを止めることができませんでした。

相手はプロですから丁寧な応対で話の決着はつきましたが、N子さんは自分で自分に驚いたままです。

彼女はクリスチャンなので神に祈りました。

「神様、今のは何だったんでしょうか?」

そして示されたのは、自分は何も言えない弱い者だと思っていたが、本当は怒りを抑圧していたのだということです。

自分が下の立場なら言えず、しかしいったん相手より上の立場に立ったなら容赦なく責め立てるのだという本当の姿がわかったのです。

彼女はサポートセンターの方に攻撃的に言ったことを言い訳するのでもなく、また自分の言い方を変えようと勉強するのでもなく、ただ神様にそのことを素直に言い表しました。

「神様、あの方には申し訳ないことをしました。私って、こんな者なんですね。でも、あなたの愛の中でゆるされたことを信じます」

N子さんは自分の本当の姿を知らせた神の厳しさの前で、同時に神様の赦しを思い起こし、その愛の中に憩うという選択をなされたのです。

彼女は自分を傷つけて生きる人生ではなく、自分をいたわり、神の愛の中で成長させていただく人生を歩み出したのです。

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信仰の厳しさの中に神の愛を見出す今日として参りましょう。

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