今日のみ言葉【No.2108】(2019年 9月30日)「キリスト教イロハ(18)『祈り』」

2019年9月30日

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
(ピリピ4:6)

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赤ちゃんがお母さんの胎内ではせず、生まれて最初にすることは呼吸です。

祈りは霊の呼吸にたとえられます。

今日の聖句は祈りの勘所を押さえている箇所です。

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祈りとは「神に申し上げる」ことです。

なぜ目に見えない神に自分の思いを打ち明け、話しかけるのかと言えば、それは神が私たちの祈りを聞き、それに答える神だと御自身の意向を明らかにしているからです。

「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える」
(エレミヤ33:3)

神の御子イエス様は、父なる神様は人の祈りに答えられるお方だから、

「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」
(マタイ7:7)

と、人間の側から積極的に求めていきなさいと教えられました。

人の祈りに神が答えられるとは、全能の神の秘義に他なりません。

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さて、

「求めたら何でも与えられるなんて、何と凄い神様だろう!これは一寸法師の物語の打出の小槌を得たようなものだ!」

などと考えてはいけません。

神はあなたの願いを無限に叶える自動販売機のような機械ではありませんので、人間が求めたものをそのまま与えられる御方ではありません。

そこには厳重な

「神の御心」

という基準があります。

御心にかなった祈りは答えられ、御心にかなわない祈りは退けられます。

私たちが

「祈りが聞かれなかった」

と感じるのはそのような時です。

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そうすると人間は一生懸命

「御心にかなった祈り」

をしようと励みます。

ある人にとってはここが見えない落とし穴で、その態度があくまで自分の願いを叶えるための方策であることを意識していません。

ですから、

「神様、あなたの御心のとおりにいたしますから、私の願いをお聞き届け下さい」

という矛盾したことを祈っていることに気づきません。

このあたりで祈りの熱意が冷める人が出てきます。

気疲れならぬ「祈り疲れ」を覚えるからです。

「求めたら与えられると聞いて祈ってみたが、何だ、与えられないじゃないか。結局御心のみがかなうのなら、自分の願いを捨てろということではないか」

となって、急速に祈りに向けるエネルギーがなくなります。

そのような人は、求めよと励まされたので、神様に

「○○して下さい」

と一生懸命祈った人なのです。

それなのに、

「それは御心とは違いますから受け付けられません」

と言われたように感じ、好きな人から急にはねつけられたような思いをしたのです。

そうなれば当然

「求めてこんな嫌な思いをするなら、求めないでいたほうがマシだ」

と思い、祈る意欲など湧いてこなくなります。

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それでも神が「求めよ」、「あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」と積極的に「祈れ」と言われるのはなぜでしょう?

それは、イエス・キリストのとりなしの祈りがあるからです。

イエス様は

「今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう」
(ヨハネ16:24)

とあるように、イエス様の御名によって祈ることを教えています。

主の御名によって祈る時、イエス・キリストは神と人間との間の仲保者となられ、私たちの祈りを神にとりなして下さるのです。

もちろん、私たち側の祈りも変えるようにと導いて下さいます。

そのようにして、一旦捨てたように思える自分の願いも、キリストのとりなしによって神に届けられ、また、私たちの思いも御心に沿う方向に進み、最善の形として実現に至るのです。

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クリスチャンの祈りの人生とは、神様とペアを組んでゴルフをするようなものなのです。

キャディーがイエス・キリスト。ギャラリーが聖霊。敵はサタン合同チームです。

同じチームのメンバーが交互に打つルールなのですが、父なる神様はパーフェクトプレイヤーなので最初に打ってくれれば全部ホールインワン達成で優勝できます。

しかし、

「あなたが先に打ちなさい」

と私たち人間がクラブを持って打つことをお勧めになります。

ところが私たちは初心者ですから、空振りしたり、藪の中にボールを打ったり、池の中にポチャンと沈めたり、パートナーの神様の足手まといになるようなことばかりします。

すかさずキャディーのイエス様が

「この方はこれが最善と考えてスイングしたのです。たまたまボールはあっちに飛んでしまいましたが、この人の思いを汲んで、リカバリーショットをお願いいたします」

ととりなします。

ギャラリーの聖霊は「ナイスだったよ」とガッツポーズを見せ、静かに応援しています。

その間にサタン合同チームはズルをしてボールをグリーンに乗せています。

そこで神様が静かにショット!

打った球はグリーンに乗ってから吸い込まれるようにサタンチームのボールに近づき、何とそれを弾いて方向が変わり、ピンそばにピタリと止まりました。

そして、

「最後はあなたが沈めなさい」

と順番を回して下さるのです。

そこはあなたの技量が試されるところです。

しかし、神様は私たちができるからこそ、その距離を開けておき、最後の感動をあなたに味わわせようとされているのです。

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今日の一日も、神に向かって口を開くことから始めましょう。

あなたの祈りというショットから、感動の人生が始まっていきます。

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