今日のみ言葉【No.3540】(2025年 1月 8日)「出エジプト記の読み方」
さて、ヤコブと共に、おのおのその家族を伴って、エジプトへ行ったイスラエルの子らの名は次のとおりである。
(出エジプト記1:1)
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毎週水・木は旧約聖書通読シリーズとしています。
昨年で創世記を終え、2025年からは新たに出エジプト記に入ります。
この御言葉メールの中には、デザートやエナジードリンクのように、「おいしくてすぐ効く」内容のものもありますが、この通読シリーズは「米飯」のようなもので、食べ続けているうちに自然と身体作りをしていく内容となります。
今日はその1回目で、出エジプト記を読む時の心構えを学びましょう。
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まず、創世記と出エジプト記はつながっていることを知りましょう。
創世記1〜11章で世界の創造と人間の堕落、そして、現在の悲惨な人類の状態の原因が明らかにされます。
創世記12章で神はアブラハムを選び、人類救済計画の第一歩を進められます。
その後、アブラハム、イサク、ヤコブと族長時代が続き、神の祝福の契約が受け継がれていきます。
このような流れを受けて、出エジプト記は書かれています。
出エジプト記は、古代イスラエルの歴史を語るだけでなく、旧約聖書の中心部分となり、また、新約聖書のキリストの救いを理解するのにも必要不可欠な書です。
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出エジプト記の書き出しは、
「さて、ヤコブと共に、おのおのその家族を伴って、エジプトへ行ったイスラエルの子らの名は次のとおりである」
(出エジプト記1:1)
と始まっています。
なぜ彼らがエジプトに移住したのかは、すでに創世記をお読みになっている皆様はおわかりのことだと思います。
元はと言えば、ヨセフを妬んだ兄たちが、彼をエジプトに奴隷として売ったことから始まっています。
ヨセフは大変な苦労の末、エジプトの総理大臣となり、7年の飢饉の際に、何も知らずにエジプトに穀物を買いに来た兄たちと再会します。
これは千載一遇の復讐のチャンスではないでしょうか。
しかし、信仰深いヨセフは兄たちを恨んではいませんでした。
聖書は、ヨセフの信仰のゆえに、神が彼らの罪の結果を恵みに変えられたことをこう記しています。
「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです」
(創世記45:4-5)
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ヨセフは続けてこう言っています。
「それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です」
(創世記45:8)
これは、
「実際にあった出来事を信仰的に解釈する」
ということです。
聖書はこのような書かれ方をしています。
歴史の出来事を、信仰によって解釈した出来事として記しているのです。
この書き方を知っていると、出エジプト記を理解するのに大いに助けとなります。
たとえば、イスラエルの民がエジプトを脱出したことは、その当時の世界が注目する大事件のような印象を受けますが、客観的な歴史的資料を探ってみても、出エジプトの記事は見当たりません。
出エジプトは、エジプト側から見れば、「奴隷が脱走した事件」であって、国が傾くほどの影響はなかったのです。
しかし、それほど小さい出来事でありながら、信仰的に見れば、将来の人類の行く末を左右するような大きな出来事だったのです。
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私たちの信仰生活においても、起きた出来事を信仰的に解釈することが、神が与えようとする恵みを受ける秘訣となります。
ただし、それは現実を自分に都合良くねじ曲げたり、妄想を抱くこととは違います。
正しい道筋は、
「このことを通して神は私に何を教えようとしておられるのか」
と探り、祈りを重ねつつ、聖霊に導かれていくことです。
片岡健吉という明治期のクリスチャン政治家がいます。
彼は板垣退助に従い、自由民権運動を推進しました。
後に政治的理由で投獄され、入獄中に便所掃除を命じられた時のことです。
片岡健吉は元土佐藩の武士であり、海軍軍人であったため、非常な屈辱を感じ、便所掃除をいい加減にやっていたそうです。
ところが、監房の中で差し入れられた聖書を読んでいるうちに、ヨハネ13章のキリストが弟子たちの足を洗われた箇所に目が止まりました。
彼は非常に心打たれ、悔い改めて、それからは入念に掃除するようになりました。
そして、
「このイエスの洗足の精神に生きよう」
と決意したのです。
自分に与えられた屈辱的出来事を、
「人に仕えるしもべとなって愛を行う者となるように神はこの機会を与えたのだ」
という信仰的解釈をして、生き直したのです。
その後の片岡は常に洗足の精神に徹し、その姿は温厚篤実そのもので、衆議院議長にも選ばれました。
その際、議員当選の妨げになるからと、教会の長老を辞退するように勧められました。
しかし、彼は、
「衆議院議長であるよりも教会の長老でありたい」
と答えたと言います。
彼はこの世の利得よりも神の恵みを選んだのです。
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神は私に何を教えようとしておられるのかを問い続け、神の恵みを得る今年として参りましょう。
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