今日のみ言葉【No.2080】(2019年 8月26日)「キリスト教イロハ(11)『安息日』」

2019年8月26日

安息日を覚えて、これを聖とせよ。
(出エジプト記20:8)

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人に何かを頼んだ時、イヤそうな顔をされたとします。

その際、あなたの心に浮かぶ次のような思いは、全て「認知の歪み」だそうです。

(1)「私のことなんて手伝いたくないと思っているんだ」
【解説】 → 何でも悲観的に捉えています

(2)「あの人、きっと、○○さんの仕事なら引き受けるんだろうなあ…」
【解説】 → ストーリーを作り上げています

(3)「あんな顔をされるくらいなら、もう誰にも頼まない!」
【解説】 → 物事を極端に受け止めています

自分にとっては当然であり、「これ以外の事実なんかあるわけないでしょ?」と思っても、上記の例は自分を落ち込ませる歪んだ考え方なのです。

私たちはどこかでズレます。

電波時計が定期的に電波を受信して常に正確な時刻を示すように、私たちも定期的に絶対的基準と自分を照らし合わせて、正しい方向に修正する必要があります。

神は安息日を制定することによって、人間の「時刻合わせ」を可能にして下さいました。

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安息日とは、旧約聖書において1週の第7日に与えている名称です。

ユダヤでは1週間は日曜日から始まるので、安息日は土曜日となります。

また、ユダヤ暦では1日は太陽が沈んだ日没から始まるので、正確な安息日の期間は、今の私たちが言う金曜日の日没から土曜日の日没までとなります。

この日はモーセの十戒で仕事を休む日として定められています。

「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない」
(出エジプト記20:8-10)

その目的は次の2つです。

(1)神の創造のわざを記念する

(2)エジプトの奴隷から解放されたことを記念する

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さて、キリスト教の場合、安息日は土曜日ではなく日曜日に礼拝を持ちます。

それは、旧約聖書に預言されていた救い主がイエス・キリストという人の姿として来られ、十字架につき、人類の全ての罪を身代わりに負って救いを完成されたことが大きな理由です。

天の父なる神は、神の子イエスというこれ以上ない犠牲が捧げられたことに満足し、人類の罪の全てはイエスの死によって償われたと認められました。

それが十字架の3日後のイエスの復活です。

イエス・キリストは十字架上で息を引き取られる直前、

「すべてが終った」
(ヨハネ19:30)

と言われましたが、この言葉はギリシャ語でテテレスタイと言い、商業用語で「支払い完了」という意味です。

これは

「全人類の罪の代価は私の命で全て払い終わりました」

ということです。

ですから、復活は神からの領収証だとも言うことができます。

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先ほど、旧約聖書での安息日には2つの意味があると言いましたが、イエス・キリストによって救いが完成された今となっては、これは

(1)神がキリストによって、再創造である人間の救いのわざを完成された

(2)人間は罪の奴隷から解放された

ということを表します。

旧約の律法はイエス・キリストによって成就され、私たち人間は律法の規定から解放されました。

そして、イエス様が復活された日曜日を記念し、安息日の礼拝をするようになったのです。

大事なことは、日の良し悪しではありません。

私たちが日常生活から一旦離れ、神によって創造された自分であり命であることを思い、キリストによって救われ、罪ゆるされて解放された人生を送れるのだ、というところに照準を合わせ直して人生を生きていくことなのです。

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そのような神学的な大きな意味を考えて安息日を守ることは、毎回富士山に登るようなことですから、初心者の方は手近な小さい山からチャレンジしましょう。

一つのヒントとして、先年、天に召された渡部昇一氏(上智大学名誉教授)の話をご紹介いたします。

渡部先生は40代に入るちょっと前からひどく肩が凝るようになり、心臓が痛くなったり、不整脈が出るようになりました。

少し書き物をすると肩にまさかりでも打ち込まれたような痛みが襲い、握力がゼロに近くなって、辞書を掴んでもポロリと落とすようになりました。

これではならじと、ヨガもどきの体操を始め、散歩を復活させました。

せいぜい1回5分程度の体操と、1時間ばかりの散歩です。

しかしこれが先生の体を良い方へ激変させ、体の不調からすっかり自由になってしまいました。

渡部昇一氏は、少時間がすべてを変える体験をこう書いておられます。

「毎日五分前後の運動をすることによって、今や私の背骨は私より二十歳も若い学者たちよりも柔軟になった。……肉体でもそうなら、脳にも、毎日三十分か一時間くらい、異質な運動を与えてみたらどうであろうか。」

「毎日一時間、仕事と直接関係のないことで頭を使おうと決心するならば、そのことによって、生活のクオリティが一変するだろうと予想してよい。毎日一時間だけ今までやらなかった『高級な』ことをやることによって、残りの二十三時間の生活のクオリティが善変するのではないだろうか。」
(『クオリティ・ライフの発想』、渡部昇一著、講談社、P13-14)

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7日に1度の安息日を、義務としてでなく、神からの祝福として受け取る人生を送って参りましょう。

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