今日のみ言葉【No.2079】(2019年 8月24日)「平安に生きていける力」
見よ、神はわが救である。わたしは信頼して恐れることはない。主なる神はわが力、わが歌であり、わが救となられたからである。
(イザヤ12:2)
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直径30センチほどの地球儀を、お台所のラップ1枚でみっちり包み、密閉したとします。
薄いラップは空気の層を表します。
人間はその範囲以下でしか生きられないのだそうです。
地球の気温が年間1度上がり下がりしただけでも気候や作物に重大な影響を及ぼし、震度6強ならずとも震度4程度で生きた心地がしない私たちです。
安心して生きるにはどうしたらいいのでしょうか?
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聖書はこう語ります。
「見よ、神はわが救である。わたしは信頼して恐れることはない。主なる神はわが力、わが歌であり、わが救となられたからである」
(イザヤ12:2)
救いを与える神の恵みを信じることにより、私たちは恐れることなく生きていけるというのです。
新約聖書では、これはイエス・キリストの十字架を通して与えられたと宣言されています。
特に使徒パウロは
「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えた」
(第1コリント15:3)
こととして、次のことを言っています。
「キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである」
(第1コリント15:3-5)
ハーベスト・タイム・ミニストリーズの中川健一師はこれを「福音の3要素」としてわかりやすく説明されています。
(1)キリストは、私たちの罪のために死なれたこと
(2)キリストは葬られたこと
(3)キリストは三日目によみがえられたこと
イエス・キリストが私の罪のために死なれ、神はキリストの身代わりの死を受け入れて下さり、罪のゆるしが成立したことを復活によって保証して下さいました。
このことを信じ、心の中にしっかりと留め、福音の恵みを蓄えておくことが、この世で突発的に起こる嵐の中を進む時でも平安に生きていける力となるのです。
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ラジオ「世の光」で長く伝道された羽鳥明牧師の若い頃のエピソードです。
その昔、皮のカバンが買えなくて、もっぱらフロシキ包みで通った時があったそうです。
「なんだか自分が哀れで、道行く人がみな私の貧乏たらしいフロシキ包みを見ているような気がしました。とうとう無理をして皮のカバンを買いました。しばらく得意になってカバンを持って歩きましたが、またまたもとのフロシキに戻ってしまったのです。フロシキのほうがずっと便利だったからです」
(『人の愛と神の愛』、羽鳥明著、いのちのことば社、P12)
思わずクスリと笑えるお話ですが、実はその後が肝心です。
「しかし今度は、私は自分のフロシキを恥ずかしがりませんでした。皮のカバンがちゃんと家にあったからです」
本物の救いを心の内に確かに持っていると、現状は何も変わらずとも、確かな平安をもって生きていけるのです。
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十字架のキリストを信じることにより、神は私たちの力となって下さいました。
そこから湧き出づる平安をもって、今日も安心して人生の道を歩んで行きましょう。
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