今日のみ言葉【No.719】(2013年12月11日)

われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。
(歴代志上29:14)

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神の宮建築のためにダビデは大いに捧げました。

それに応答するかのように、民も喜んで捧げものをしました。

「彼らがこのように真心からみずから進んで主にささげたので、民はそのみずから進んでささげたのを喜んだ。ダビデ王もまた大いに喜んだ。」
(歴代志上29:9)

誰から言われたのでもなく自発的に、最上のものを捧げることが真の礼拝です。

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偽の礼拝、すなわち偶像礼拝では、命令されて捧げものをします。

出エジプト記で、モーセが十戒を授かるために神の山に登った時、イスラエルの民は不安になりました。

モーセがいつまでたっても帰ってこなかったからです。

そこで彼らは心に平安を得るため、金の子牛を作り、自分たちの神としてそれを拝み出しました。

この時、民は自発的に捧げものをしたのではありません。

「アロンは彼らに言った、『あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい』。」
(出エジプト記32:2)

と、アロンに命ぜられて持ってきたのです。

自発的か命ぜられてか、そこが本物と偽物の分かれ道です。

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米沢興譲教会の礼拝堂を献堂する際、うれしくて困った、という妙な苦労がありました。

礼拝堂のピアノは最高のものを捧げたい、それならスタインウェイだ、という方が3名現れたのです。

牧師は

「どうやってその1名を選び、他の2名に納得して辞退していただくか」

ということにしばらく頭を悩ませました。

生きた信仰、命ある教会のキーワードは、この

「自発的」

ということです。

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「各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。」
(第2コリント9:7)

この御言葉を心にとめ、豊かに蒔き、豊かに刈り取る人生を送って参りましょう。

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