今日のみ言葉【No.3637】(2025年 5月22日)「頑固なパロ(1)」
その後、モーセとアロンは行ってパロに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒野で、わたしのために祭をさせなさい』と」。
(出エジプト記5:1)
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神を信じ、神の言葉に従って忠実に行動しても、一度ですべてがうまくいくとは限らない。
出エジプト記第5章からは、そのような現実が続いていきます。
モーセは、拒絶と反対、協力ではなく批判の連続に直面します。
彼自身の信仰さえも、揺らぎ、弱さを覚えることになります。
そのような過程の中で、神がどのように働かれるのかを見ていきましょう。
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モーセはアロンと共に、エジプトの王パロと直接対決します。
彼が伝えたのは、次のような神の言葉でした。
「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒野で、わたしのために祭をさせなさい』と」。
(出エジプト記5:1)
パロがこれを素直に聞き入れるはずはありません。
なぜなら、イスラエルの民はエジプトの奴隷であり、最下層の人々だったからです。
その「イスラエルの神」などエジプトではまったく無名です。
また、イスラエルの民の重労働によってエジプトの繁栄が支えられている面がありましたから、その奴隷たちを休ませたり、逃がしたりすることは、国にとって大きな損失となります。
まして、モーセの要求は、神を礼拝させよということです。
パロにとって、奴隷たちが信じる神への礼拝など、まったく意味のないことだったのです。
彼の関心は、ピラミッド建設や倉庫の整備、田畑での労働力の確保にあり、奴隷たちが強くも弱くもなりすぎないよう調整することでした。
そこでパロは、
「わたしは主を知らない。またイスラエルを去らせはしない」
(出エジプト記5:2)
と言ったのです。
現代に生きる私たちも、パロの考え方を他人事と捉えてはなりません。
この世の動きだけを「現実」とみなし、神を無意味な存在と考えているなら、私たちもパロと同じなのです。
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神を第一として生きようとする時、必ずと言っていいほど、それに逆らう流れに出会います。
その中で、信仰に踏みとどまり、神の知恵を用いて対処していく歩みを続けてまいりましょう。
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