今日のみ言葉【No.3613】(2025年 4月15日)「夕食の用意をする僕の話(1)」
あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。その僕が畑から帰って来たとき、彼に『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。
(ルカ17:7)
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ルカ17章7節〜10節に出てくる「僕(しもべ)」の話は、しばしば「弟子のあるべき姿」や「謙遜に生きること」を教えている箇所だと理解されることが多いようです。
しかし、実はその解釈だけでは十分ではありません。
この箇所までの文脈をよく読むと、ここでイエス様が語っておられるのは、前の節にある
「からし種一粒ほどの信仰」
(ルカ17:6)
をどう養うかということへの答えなのです。
繰り返しになりますが、ルカ17章の1節から10節にかけては、弟子や教会の指導者に向けて語られた、非常に厳しい内容です。
クリスチャンでない方や、一般の信徒には、このレベルの要求はされていないことを踏まえた上でお読みください。
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さて、弟子たちは、自分たちが「人をつまずかせる存在」になり得るとイエス様から指摘され、さらに「悔い改めた者を赦しなさい」と命じられました。
彼らは、そんなことは今の信仰の程度ではとても無理だと直感し、
「わたしたちの信仰を増してください」
(ルカ17:5)
とイエス様に頼みました。
しかし、イエス様の答えは、「信仰の量」を増やすということではなく、命ある信仰がほんの少しでもあれば、それで十分だというものでした。
では、その「命ある信仰」はどのようにして自分たちのうちに育まれるのでしょうか。
その答えが、今日の箇所(ルカ17:7-10)に記されているのです。
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しかし、厳しい話です。
一日の仕事を終え、疲れて帰ってきて、ようやく休めるかと思いきや、まずは主人のためにさらに働くように言われるのです。
「夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いをするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい」
(ルカ17:8)
自分は空腹のまま、主人の食事が終わるのを待たなければなりません。
しかも、感謝の言葉すら与えられず、最後にはこう言えと命じられます。
「わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません」
(ルカ17:10)
これが、「からし種一粒ほどの信仰」を生み出す方法だというのです。
一体どういうことでしょうか?
ぜひ、次回まで考えてきてください。
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今日という日を、しもべとして忠実に歩む一日としてまいりましょう。
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