今日のみ言葉【No.3636】(2025年 5月21日)「神礼拝」
民は信じた。彼らは主がイスラエルの人々を顧み、その苦しみを見られたのを聞き、伏して礼拝した。
(出エジプト記4:31)
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私の母は90歳をとうに過ぎ、現在は施設で生活しています。
認知症が進み、息子である私のことが誰なのか分からない時もあります。
しかし、「ごめんなさい」と「ありがとうございます」という言葉だけは、今もはっきりとした声で言います。
食事を運んでくださる職員の方々、看護師や介護士の方々、誰彼構わずこの言葉をかけています。
これは施設で学んだことではなく、90年の人生を経てふるいにかけられ、心に残った言葉なのだと思います。
「ごめんなさい」と「ありがとうございます」を忘れないように、私たちクリスチャンも「神への礼拝」を忘れずに行うべきであることを、今日の聖書箇所は語っています。
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モーセは荒野で兄アロンと再会し、神が語られたことをすべて彼に伝えました。
口下手なモーセに代わって、雄弁なアロンがイスラエルの長老たちにその言葉を告げ、さらにはしるしも行いました。
「そしてアロンは主がモーセに語られた言葉を、ことごとく告げた。また彼は民の前でしるしを行ったので」
(出エジプト記4:30)
その結果、
「民は信じた」
(出エジプト記4:31)
となりました。
彼らは、
「主がイスラエルの人々を顧み、その苦しみを見られた」
(出エジプト記4:31)
という情報をアロンから得、まさしくそれは真実であると信じたのです。
イスラエルの民は、神が彼らの苦しみを知っていて下さったこと、そして、愛をもって配慮して下さることを知り、感謝します。
それを形で表したのが、
「伏して礼拝した」
(出エジプト記4:31)
ということです。
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私たちは神を礼拝することを忘れてはなりません。
出エジプト記を通して知ることは、神は人間の苦難を知らん顔をして見捨てておかれる方ではなく、常に我々の苦悩と困難をご存知であるということです。
「それなら、なぜ神はすぐに助けてくださらないのか?」
と思うかもしれませんが、そこには神の深いご計画があるのです。
苦難が身の回りにあふれている場合は、その事が神の目の前でも起こっているのだ、と自分に言い聞かせましょう。
祈ってもすぐにその苦難が取り去られないのであれば、私たちはそれに耐えることが神の御心なのです。
そして、その場合、人間側が、
「神様なんかあてにならない。自分で頑張るしかない」
と神を見捨てたくなる誘惑に駆られますが、その道に陥ることのないように踏ん張ってとどまる必要があります。
むしろ、試練の中にあっても神を仰いで進むようにするのです。
そうすると、神は最善の時に、最善の人を備え、その問題を、人間が思いもよらない方法で解決して下さることを見ます。
その時に忘れてならないのは、この「神礼拝」です。
私たちは、私たちがわかる範囲で感謝することはもちろん、わからなくても神を賛美し、礼拝することを欠かしてはなりません。
人間には到底理解できない時でも、神は最善となるように事をお進めになっておられるからです。
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神を礼拝する信仰生活を送って参りましょう。
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