今日のみ言葉【No.933】(2014年11月 7日)

あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
(詩篇103:5)

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うちの奥様がスマホを持ち始めました。

今までのケータイでは

「また広告メールが来たわ。どうやって止めるの?」

と言っていたので、これを機会に配信停止手続きをしてあげようとしたら、

「止めなくていいわ。これ読む!」

という意外な反応。

ケータイで受信すると、わけのわからない英語と数字の羅列が延々と続いていたメールでしたが、スマホで見るとカラフルな雑誌のようなレイアウトで表示されるからです。

送信されて来る内容は全く変わりませんが、こちら側の受信する機械が変わったことによって、灰色メールがバラ色メールに変わってしまったのです。

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詩篇第103篇もこれと同じです。

他の詩篇では、嘆き、苦痛、呪いがあふれるように記されているのに、この詩篇は

「わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。」
(詩篇103:1)

と、ひたすら賛美を勧めています。

彼も苦痛と矛盾に満ちた同じ現実を生きていたに違いありません。

しかし、全詩篇中、最も麗しい詩篇と評されるこの歌を作ることが出来たのはなぜでしょう?

前向き肯定的プラス思考の訓練に励んだからでしょうか?

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その理由は、

「主はあなたのすべての不義をゆるし」
(詩篇103:3)

とあるように、罪の赦しによって神との関係が一新されたからです。

新約聖書の放蕩息子のたとえ話を思い出して下さい。

都会でのしたい放題の生活の末、全財産を浪費して使い尽くしてしまった彼は、自らの罪を悔い、

「雇人のひとり同様」
(ルカ15:19)

にしてもらおうと思って父の家に帰って来ました。

しかし、お父さんは

「さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。」
(ルカ15:22)

と、雇い人どころではなく、最愛の息子として受け入れ、歓迎してくれました。

この罪のゆるしが賛美の素なのです。

十字架のイエス・キリストによる神との「和解の関係」。

これが

「あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。」
(詩篇103:5)

という確固たる宣言の土台となるのです。

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今は天に凱旋されたAさんは、亡くなる数カ月前まで教会のロビーで歌を歌い、賛美しているおじいちゃんでした。

よほど信仰に厚い方なのだと思いきや、実は数十年前に洗礼を受け、その後教会を離れ、何十年もの間のブランクがあったとのことでした。

しかし老年になったある日、教会のパンフレットが自宅の郵便受けに挟まれているのを目にしました。

その瞬間、彼は、これは神様からの

「また来い」

という招待状だと直感したのです。

数十年も神から離れた我が身を忘れずにいてくださった神の愛と赦しを感じたのです。

高齢の身ですから、いまさら教会の力仕事もできません。

しかし、その後の亡くなられるまでの数年間、朗々とロビーで賛美する存在として、多くの方に神の愛とゆるしによって戻ってきた「放蕩息子」の生きた見本としての人生を送られたのです。

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今日も神のゆるしに出会う一日として参りましょう。

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