今日のみ言葉【No.776】(2014年 3月 3日)

またすべてみずから進みでてエルサレムに住むことを申し出た人々は、民はこれを祝福した。
(ネヘミヤ記11:2)

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3月は卒業・転勤・引越し等の移動のシーズンです。

この時期必ず耳にする卒業ソングの定番「春なのに」(歌:柏原芳恵、作詞・作曲:中島みゆき)。

「春なのに お別れですか」

というサビの部分の歌詞が心にジワッと来ます。

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さて、ネヘミヤ記第11章では

「民はくじを引いて、十人のうちからひとりずつを、聖都エルサレムに来て住ませ」
(ネヘミヤ記11:1)

とあるように、強制的に民を都に移住させたことが記されています。

これはどんな理由からでしょう?

エルサレムはまだ住むには適した土地ではなかったのです。

補囚から帰還した人々は、まず食べ物を手に入れなければなりません。

彼らは農耕に適した、エルサレムから遠い周辺の土地に住み始めました。

しかし、城壁が再建された後は、この都を敵の手から守っていかなければなりません。

そこでネヘミヤは、エルサレムの人口増加のため、くじを引かせ、当たった者は引越しをしなければならないようにしたのです。

バビロニアから帰ってきて、ようやく移り住んだ土地で苦労して耕した畑を手放し、今度は住みづらいエルサレムでの生活が始まる人たちにとっては、

「春なのに お別れですか」

以上の気分だったことでしょう。

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ところが、民の中には

「みずから進みでてエルサレムに住むことを申し出た人々」

がいました。

将来の子孫の祝福の土台となろうとして、自分から苦労を買って出た人々です。

今ある祝福を失うまいとする人は、結局のところ、それを食い散らかして終わります。

しかし、今ある祝福を将来の人々のために使おうとして自らを犠牲とする生き方をする時、神はその祝福を

「三十倍、六十倍、百倍」

と増やしてくださるのです。

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今から数十年前、米沢興譲教会のおばあちゃんたちは将来の大きな会堂を夢見ていました。

あるおばあちゃんは、そのために、バスの1区間を歩き、さらにもう1区間を…、というようにして5円、10円の献金をしました。

自分の身体のためにバスに乗っても良かったのです。

しかし、将来教会に来て救われる若い人達のために…、と犠牲を払ってくださったのです。

神様はその犠牲を何千何万倍もの祝福として増やし、現在の私たちに味わわせて下さっています。

では同じようにそのおばあちゃんたちも祝福に預かったのでしょうか?

いいえ、新しい会堂を目にし、そこで礼拝できた方々はほんの僅かでした。

生きている間に神の御業を見ることなく、大部分の方はその前に天に移されました。

しかし、

「虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。」
(マタイ6:20)

の御言葉の約束の通り、天に宝を貯え、地上に宝を残す人生を全うされました。

このような人生こそ「あっぱれ!」と賞賛すべき人生なのではないでしょうか?

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「移住先のエルサレム」とはあなたにとって何でしょうか?

困難や犠牲はあっても、天に宝をたくわえる人生を送っていきたいものです。

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