今日のみ言葉【No.684】(2013年10月28日)
この残っている者のために祈をささげてください
(列王紀下19:4)
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つい最近、二人の大物司会者が番組をやめる発表をしました。
一人は「テレビ局に感謝、国民の皆様に感謝」と言って、惜しまれつつ去ります。
片や、引きずり降ろされるかのように降板させられ、会見の最後では「バカヤロー!」と叫ぶ始末。
引き際を定めることは本当に難しいものです。
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聖書では積極的に「退く」ことを勧めています。
それは試練から逃げ出す消極的意味ではなく、自ら進んで
「神に退く」
ことです。
「しかしイエスは、寂しい所に退いて祈っておられた。」
(ルカ5:16)
退いて祈るために神に向かうことのできる人は幸いです。
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列王紀下19章では、アッスリヤの圧力に屈しようとするヒゼキヤ王がどのようにしたかが記されています。
彼は
「きょうは悩みと、懲らしめと、はずかしめの日です。」
(列王紀下19:3)
と表現するほどの苦境に陥っていましたが、それを叫びやつぶやきだけで終わらせない信仰を持っていました。
預言者イザヤの下にこの叫びを祈りとして持って行ったのです。
そして、
「この残っている者のために祈をささげてください」
とイザヤに懇願します。
神のしもべイザヤに話したということは、神に伝えたということです。
神は、
「あなたがわたしに祈ったことは聞いた」
(列王紀下19:20)
と語り、アッスリヤがエルサレムに来襲することをとどめられました。
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人生には退く時が必要です。
引き際が見苦しくなるのは、普段から引く訓練をしていないからです。
常に、前へ前へと出ようとしている人が、いきなり幕を下ろすことなど到底出来ることではありません。
「自分がこれをやらねばならぬ!」
から、一歩も二歩も下がって、
「どうぞこれらの方々のために祈って下さい」
と他者に祈りを依頼し、自分は退いて神に明け渡す…。
頼りとして握っていたものを手放す瞬間は不安を覚えるものです。
自分を支えるものを失い、自分がどうにかなってしまいそうに思うからです。
しかしやがてわかります。
いかに握っていたものに自分が振り回されていたかということを…。
神の不思議な御業が目の前に展開されるのを見るのはその時からです。
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米沢興譲教会の金藤晃一先生は、1ヶ月に100人もの人とカウンセリングをし、猛烈に働いていました。
やがて知らぬ間にエネルギーが枯渇し、うつ病となり、強制休養となりました。
何も出来ない長期間、
「クライエントの皆さんに申し訳ない…」
という、うつ病独特の自責の念にとらわれましたが、どうしようもありません。
やがて復帰した時、彼はこう思いました。
「あの人は私が関わらない間にきっと精神病院に入院しただろう。あの夫婦は離婚しただろう。あの人は引きこもったままでもっとひどくなっているだろう…。」
さて、蓋を開けてみると、その人たちは今までよりずっと良くなっていたのです。
詳しく話を聞くと、
「金藤先生がいなくなったので、もう頼る人はいない、これは自分たちががんばらねばならぬと思って、一生懸命努力しました!」
とのこと。
金藤先生は、
「私はいない方が良かったのか…」
という存在の危うさをちょっぴり感じながらも、不思議な神様の御業を見させられ、神を褒め称えました。
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全てから身を退き、神に退くひとときを持って参りましょう。
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