今日のみ言葉【No.683】(2013年10月26日)

あなたが頼みとする者は何か。
(列王紀下18:19)

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苦しい時の神頼み、という言葉があります。

普段信仰していない人が、困難にあった時だけ神にすがり、それが去るとまた元の無信仰に戻る姿を戒めて使う言葉です。

しかし、苦しい時に神を頼むしかないことは良いことなのです。

神の他に頼るものがないということですから、良い意味で開き直ることが出来ます。

勝たねばならぬ、やらねばならぬ、という力みから解放され、

「結果は神様に任せるほかない」

という無心の境地、リラックスした状態になれるので、案外本来の実力を出せるものです。

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今日の聖句の

「あなたが頼みとする者は何か。」

とは、敵のアッスリヤ王の使者ラブシャケがエルサレムに来て、降伏を勧告した時の言葉です。

これは、

「おまえたちの信じる神に頼っても無駄だ」

という挑戦であり挑発でした。

自国の強大な軍事力を背景として、エルサレムの住民にアッスリヤ王に従えと演説したのです。

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これに対する民の反応はどうだったのでしょう?

「しかし民は黙して、ひと言も彼に答えなかった。」
(列王紀下18:36)

とあります。

時のヒゼキヤ王が「答てはならない」とあらかじめ命じておいたせいもありますが、そうでなくとも一言も答えられないほどの状態だったことでしょう。

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苦難に遭う時、私たちはあれこれ手段を講じ、ここから脱出しようとします。

しかしどれもうまく行かず、万事休すの状態になります。

言葉も出ない状態になります。

黙する状態です。

この時を神は待っておられるのです。

「主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。
(出エジプト記14:14)

明け渡しの瞬間です。

そこから先は神様に動かされますから、マリオネット(操り人形)のような感覚です。

ああしろ、こうしろ、と動かされるので結構忙しくなります。

しかも、「自分ではこうはしないな」という違和感も持ちます。

そして時が流れ、後ろを振り返る余裕が出た時、神に導かれたことを納得できるようになるのです。

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作家の三浦綾子さんは、肺結核、そして脊椎カリエスで療養中、毎日自殺を考えていた時期があったそうです。

「癒えぬまま果つるか癒えて孤独なる老に耐えるか吾の未来は」

という短歌を作ったのもこの時期です。

「おまえの病気は絶対治らない」

「どうせ私は人に迷惑をかけるばかりなんだから」

と決めつけて生きていました。

しかし、

「今よりのちのことは、神の領分である」

という言葉を知り、十字架のイエス・キリストの福音に触れてからの三浦綾子さんは、この時の姿からは思いもよらない人生を送ることになるのです。

彼女はこう語ります。

「人生は思わぬ展開をするものである。自分の思い通りに動くものではない。」

「私たち人間には何もわからないが、しかし神の御手に委ねて一歩一歩歩むならば、絶望がいつの間にか希望に変わっているということがある。」

「それは誰の上にも言えることである。どんな時でも自分の人生を投げ出してはならない。」
(三浦綾子著『明日のあなたへ』より)

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黙してしまう時こそ神に最も近い時です。

ゆだねて神と共に歩んで参りましょう。

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