今日のみ言葉【No.3798】(2025年12月11日)「民のつぶやき(1)」

その荒野でイスラエルの人々の全会衆は、モーセとアロンにつぶやいた。
(出エジプト記16:2)

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「なぜ私だけがこんな目に遭うのか」

と、問題や自分に焦点が当たると、つぶやきが出ます。

一方、問題そのものではなく、

「問題よりも大きな力を持つ神」

に焦点が向けられると、そこから祈りが生まれます。

エジプトを脱出してから約1ヶ月後、イスラエルの民は荒野に食物を見いだせないという問題にぶつかり、つぶやきだしました。

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つぶやくイスラエルの姿は、この後も何度も登場します。

「つぶやき」とは、まず神への不信から出ます。

神を恐れず、神の力が信じられません。

祈りも出てきません。

代わりに出てくるのは、否定的・破壊的言葉です。

つぶやく言葉が出ると、生活の調子が狂ってきます。

困難にぶつかるのは誰もが同じですが、その辛さが和らげられることがありません。

そして、これが周囲に漏れ出し、全体を腐らせていくのです。

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彼らのつぶやきはこうでした。

「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」
(出エジプト記16:3)

何と、あのエジプトが「肉のなべ」に見えたのです。

クリスチャンも、この世が「肉のなべ」に見えたら、イスラエルの民と同じです。

現在の霊的状況を測るバロメーターは、この世がどう見えるかです。

イスラエルは、別の箇所ではエジプトを「鉄の炉」とも見ています。

「しかし、主はあなたがたを取って、鉄の炉すなわちエジプトから導き出し、自分の所有の民とされた。きょう、見るとおりである」
(申命記4:20)

現代の私たちも、これと同じように、

「この世にいたら身が持たなかった」

と見える時があるのです。

この世が肉のなべに見えた時は、自分の救いの原点はどこだったか見つめ直しましょう。

鉄の炉と見える時は、今の生活に感謝しましょう。

自分がつぶやいているか、感謝しているか。

どちらも、神に立ち返る良い機会となります。

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つぶやく私を見捨てず、神への立ち返りを期待される主を見上げ、今日も生きて参りましょう。

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